青春の亡霊

JR総武線を千葉方面に走っていると、御茶ノ水駅を出たところで、川の向こうにビリヤード場が見える。20時ごろ、最近知り合った歳の近い友人と2人、並んで吊り革を握り、真っ暗の車窓に映る自分たちと、その向こうに流れる都会の明かりとをぼんやり眺めていたら、御茶ノ水を発車したところで、そのビリヤード場が見えた。ちょうど他に街灯は無く、暗闇にビリヤード場の白い蛍光灯だけが煌々と浮かび上がり、数十メートル離れたこちらからでも、店内のビリヤード台とキュー・スティックがはっきり見えたので、私は、ほんの世間話のつもりで、「ビリヤードって、面白いんでしょうかねえ」と呟いた。友人は驚愕の面持ちで、「面白いです。やったこと無いんですか」。曰く、学生時代、都内で夜通し遊ぶには、カラオケか、ダーツバーか、ビリヤードの3択であったと言う。

私は、3つの内ではカラオケしかやった事がない、そもそも、夜通し街で遊ぶようなことが無かった、と伝えると、友人は異星人を見るような顔をして、私も、その異様なリアクションに困惑してしまって、2人揃って唖然とした状態のまま、私たちはまた、車窓の暗闇を見つめた。変な沈黙である。なんとか絞り出し、「青春ですね」と声掛けると、友人は、「はい。今はもう、あんな遊び方は出来ないです」と言う。私は23、友人は24歳である。車内には、既に秋葉原駅到着のアナウンスが鳴り始めていた。

都内、もしくは近郊で生活する彼らにとって、街で夜を明かす、という冒険は、到底冒険と呼べるようなものではなく、それこそ、「青春の1ページ」に過ぎないようである。私が都内じゃなく、都内に近い千葉に住んでいるから、こういう感覚の齟齬が生まれるのかしら、とも考えたが、思い出してみれば、同市に住む(本人曰く、森を抜けた先に住んでいる)同級生も、都内の大学に通う間、バイト仲間とカラオケでオール、ダーツバーでなんちゃら、つい先日にはゴールデン街で夜通し飲み歩いた、などと言っていたので、どうやら居住地域に関係なく、都内に用事のある若者は皆、そうやって遊び歩くのが定石らしい。私は、どれも未体験で、しかし、だから今から是非一緒に、と誰かを誘うにしては、ビリヤードの友人が言う通り、年齢的にも、あるいは生活習慣的にも難しい。私が、これからビリヤード場で夜通し遊ぶとしたら、それは同年代の友人たちとではなく、歳下の後輩たちと、ということになるのだろうか。青春を失って切ない、というのはよく聴くが、知らない青春の種明かしをされて切ない、というのは、不意を突かれた孤独がある。

とは言え、今さら取り返せもしないのに、無かったことを「無かった」と泣き喚くのは、滑稽である。一般的な青春のアイコンとして、ビリヤードやダーツやゴールデン街を知れただけでも、幸運と言えよう。どうせなら今後、それらを成し遂げていない限り、私は堂々胸を張って、「まだ青春、真っ只中です」とさえ宣言できる。無かったのではなく、「今はまだ」無い。青春を失った彼らよりも、ずっと長く、この青春の亡霊を啜り味わいながら生きていこうか。

白昼夢

レアチーズケーキの白い断面が、ブルーベリーソースの鮮やかな紫色に侵食されていった。丸い平皿の中心部に、綺麗な円を描いて盛り付けられたブルーベリーソースと、その上にひっそり置かれた一切れのレアチーズケーキは、その完璧な色合いと配置から、ほとんど絵画のようだった。私は再び、チーズケーキにフォークを差し込んで、ついでにブルーベリーソースを少し掬うと、ケーキに撫ぜられた部分だけ皿底の白さが覗き、しかし、すかさず周りのブルーベリーソースがにじり寄って、あっという間に紫色が白い部分を覆い尽くしてしまった。フォークの方を口に運ぶと、まるでレアチーズをそのまま押し固めたような、ねっとりとした舌触り、そして、ブルーベリーのむせ返るような甘酸っぱさに、酔っ払ったような感覚に陥る。アルコール。良いチーズケーキとブルーベリーを混ぜ込むと、合法で酒が完成する。

ポケットからスマホを取り出して、点けると、14:30とあった。日曜日の昼過ぎである。テーブルの上には、私の、いまだ白紙のまま開かれたノートと、シャープペンシルが放置されている。ケーキに合わせて注文した苦いコーヒーをひと口含んで、店内を見渡した。黒いタイル張りの床に、石のような灰色の壁。焦茶色の重そうなテーブルと、細い木を組んで作られた華奢な椅子のセットが、全部で5つある。部屋の角には、大きなプリン型のカバーが掛かった照明ランプが佇み、壁際には、いかにもアンティークの、天井まで届きそうな大きな食器棚がひとつ置かれている。スピーカーは見当たらないが、店内にはそこそこ大きな音量で、クラシックだかオペラだかが響いていた。

私はちょうど、入り口から入って最奥の、隅の席に座っているため、首を捻じらなくとも、狭い店内の隅々まで観察することが出来た。また、私のちょうど正面の壁には、厨房へと通じるドアがあり、ドアには細いガラス窓がついているから、店員が厨房を行き来する様子もよく見えた。店員は、年齢の読めない坊主の青年だった。

私は、いつの間にか空になっていたコーヒーカップをソーサーに置いて、厨房の方を見た。おかわりが欲しかった。しかし、青年は作業に忙しいようで、何度かガラス窓越しに背中は見えるものの、私の視線に気付く様子がない。数秒待って、諦めてテーブルに視線を落とした。半分だけ食べられたチーズケーキの足元は、すっかりブルーベリーの紫色に染まっていた。また顔を上げると、今度は厨房のドアの向こうに、ガラス窓に額を押し付けるようにして、青年がこちらを凝視していた。あっ、と口を開きかけると、青年はギッとドアを開けて、ツカツカ歩み寄って来て、私の目の前で立ち止まった。青年は黙って私の顔を見つめた。私は呆気に取られながらも、努めて冷静に、「ブレンドのおかわりを」と言う。青年は「はい」とだけ言って、空のコーヒーカップを取り上げて厨房に戻り、すぐに新しいコーヒーカップを運んで来て、テーブルに置いた。そしてまた、黙って厨房へと引き返して行った。

コーヒーカップをつまみ上げて、熱いコーヒーを口に含む。私は、コーヒーの味など分からないはずなのだけど、最初のコーヒーと、このコーヒーとでは、何だか微妙に違いがあるように感じられた。味は同じ、だけども、形が違うような。これが、コーヒーの違いなのか、それとも、このカフェの奇妙な雰囲気に当てられた私の勘違いなのか、判別出来ない。ガラス窓の向こうでは、また青年が忙しそうに、右に左に、歩き回っている背中が見える。私はシャープペンシルを握り、テーブルの上に広げたままのノートの隅に、小さく、「白昼夢」と書き込んだ。

運命未満をやり過ごす

運命、という単語を辞書で引いてみると、「人に幸不幸を与える人智を超えた力」とある。ひとつの出会いやきっかけから、偶然の巡り合わせが重なり合い、向かうべき結末へと進んで行く、その起承転結、それぞれが運命と呼ばれるものであり、それら一連の流れをひっくるめてもまた、運命と呼ぶ。今日この場においての「運命」とは、決まった結末へと押し流す力ではなく、ひとつひとつの出来事、きっかけ、つまり「あるひとつの偶然」という1点を指す。

 

運命的な出来事とは大抵、その瞬間では、日常に紛れる些細な偶然のひとつに過ぎない。偶然の先に地続きになった現実が、かけがえのないものになって、初めて「あれは運命だった」と表現される。当時は単なる偶然に過ぎなかった出来事が、あとから振り返ってみると、その余りにも大きい影響力に、もしかして必然だったのではないか、起こるべくして起こったのではあるまいか、そう気付いて、ようやく運命は運命として認識される。

しかし、些細な偶然と言えど、後に運命となる出来事には、他とは違った輝きがあるように思えてならない。人との出会い、ひとつを取っても、コンビニで同じお菓子に手を伸ばしたのと、図書館で同じ本に手を伸ばしたのとでは、生まれるロマンチシズムが全然違う。特別に輝きのあるイベントであって欲しいし、そういうロマンチックに憧れているからこそ、人は「運命の出会い」「運命の相手」という幻想に浸るのではないか。運命なら運命らしく、可能な限りドラマチックであって欲しい。少なくとも、私はそう思う。と言うのも、私が普段、全然ドラマチックじゃない「人智を超えた偶然」を抱え続けているからなのである。

 

家を出て、コンビニまで歩く途中、駅まで出掛ける道すがら、散歩中、あるいは、その帰り道、必ずと言って良いほどすれ違う男性がいる。追い越したり、追い越されたりするのではない、必ず「すれ違う」のである。男性は必ず、私の正面から歩いてくる。つまり、私を見つけて追いかけて来ているわけじゃないのである。私が、何の気無しに家を出て、数分歩くと、一本道の向こうから、曲がり角の向こうから、偶然、その男性が歩いてくる。時間帯もバラバラである。久しぶりに昼間出掛けても、夕方買い物に出掛けても、夜中に突然、コンビニへ行こうとしても、数回に1回の確率で、男性は向こうから歩いてくる。一度、早朝だか深夜だか、突発的な用事から帰る途中、疲れ切って霞む視界に、その男性が歩いてくるのを見た時には、思わず正面まで駆け寄って、抱きしめてしまおうかと思った。

毎度、本当にただの偶然なのである。恐らくは近所に住んでいて、生活圏内が同じ、ただそれだけ。しかし、同じような条件の人間が数十人いるだろうこの街で、これだけ何度もすれ違うのは、この男性、1人だけである。「そう言えば」と咄嗟に外出してもすれ違うのを見るに、多分、男性と私は「そう言えば」を思い立つ瞬間が同じなのだろう。すれ違う地点が同じなら、そこに至るまでの過程、家を出た時間、食事を済ませた時間、起床時間、全てが、常軌を逸した高確率で重なっている可能性がある。紛れもなく「人智を超えた偶然」である。

運命と呼ぶに相応しい奇跡に違いないが、しかし、運命と呼ぶには、あまりにも地味、加えて、頻発し過ぎている。生活に溶け込み過ぎている。声を掛ければ、あるいは運命になり得るのかもしれないが、実際に行動を起こすには、いささか魅力に欠ける。私はこの「運命未満」を、実に数年前から抱え続けている。

 

声を掛けたり名前を聞いたり、その後の交際があった上で初めて「あれは運命的な出会いだった」と呼べるわけで、声も知らず名前も知らずの状態では、決して運命にはなり得ない。数多の人間たちが「運命の相手」を血眼になって探している中で、平然と「運命未満」をやり過ごし、キープし続けているというのも、なかなか贅沢な話である。運命として消費されない「運命未満」の偶然が、この世に1つくらいあっても良いだろうか。もし、この先、私が「運命だった」と感じる出来事に出会えなかったら、その時は、男性に声を掛けてみようか。

私がそう思うのだから、男性もきっと、そう思っているでしょう。なんてったって、運命未満の相手ですから。

キャラメル読書

月初めの願掛け的な企みで、図書館へ行くことにした。目覚ましを、いつもより2時間早めてセットして、就寝、そうして、5時間弱のレム睡眠の先にあったのは、眩しいくらいに光り輝く、晴天の朝である。サンサンと降り注ぐ朝日、これから私は、この青空の下を1人、修行僧のようにトボトボ歩いて、この世の本を全部煮詰めたような匂いが立ち込める異空間へと身を投じるのか。私は図書館を、活字の力によって自らを律する場所だと認識している。入場に、ある程度の覚悟を必要とする神聖な場所であり、また、自責の念を抱える者たちが救いを求めて彷徨い集う、暗い場所でもある。寺か何かと勘違いしている。

月初めの願掛けは、これは失敗に思われた。昨日の予報では雨だったから、じゃあ図書館にでも入り浸って、じっくり自己を立て直す時間を設けましょう、と思っていたのに、こんなにも晴れているんじゃ、話が違う。いつでも出来ることを、わざわざ晴天の日にやる必要はない。晴天は、経より運動が吉だろう。

 

ショルダーバッグに、スマホと財布とイヤフォンと、申し訳程度に文庫本を1冊、詰め込んで、久しぶりに晴れた街を歩いた。辿り着いたのは、通りに面した広いスターバックスである。平日だからか閑散とした店内の、最も明るい窓際の席に腰を下ろした。注文したのは、キャラメルマキアートである。注文の際、店員の女性に「〇〇カップでよろしいですか」と聞かれ、聞き取れなかった私は適当に「はい」と答えたのだが、なるほど、蓋のない、巨大なプラスチックのコップに、茶色と白の液体がなみなみ注がれている。紙ストローを差し込み、ガチャガチャとかき混ぜると、分離していた茶色と白が混ざり合って、コーヒー牛乳のような見た目になる。美味しそう、とストローをつまみ上げた瞬間、ギョッとした。かき混ぜたことによって、トッピングとして掛かっていただろうキャラメルソースが、もれなくストローに絡み付き、蜂蜜のように固まっていた。呆気に取られつつ、しかし、せっかくのキャラメルマキアートなのだから、出来ればキャラメルも一緒に味わいたい、と、結果私は、都度都度ストローを持ち上げて、固まったキャラメルを舐めつつ、またかき混ぜて、マキアートを啜る、という、ちまちました飲み方を発明した。これだと飲むのに時間を要するので、持って来た文庫本を眺めたりもした。稀に、窓のすぐ外を、リードに繋がれた毛玉のようなトイプードルが、こちらを見上げながら歩いていくのが面白かった。キャラメルの甘さは、意外にも読書に合うのだという発見があった。

2時間弱、気付けば読書に没頭し、安部公房を半分読み終えていた。固まっていたキャラメルソースは跡形もなく消え、カップの底には、薄くなった氷のかけらだけが数枚残った。カップを返却台に置いて、店を出た。涼しい風がスッと胸を通る心地である。今夜は、よく眠れそうだ。

五月病声明

五月病である。3月、4月の不調の大概は花粉症のせいにしてしまえるのと同じ理屈で、5月1日から31日間の不調、不具合、しでかした不手際の数々まで、その責任の全ては、五月病という名のもとに一括りにしてしまえる。いまだ、向き合うべき問題は眼前高々に山積みにされ、どこから手を付けるべきなのか、私が背負うべき責任は、果たしてどのくらいの質量になるのか、そもそも、明確な解決案のある問題など存在するのか、そういう漠然とした不安が至るところに停滞しているのを、毎分、毎秒、神経の節々で感じ取りながら、なんとか力んで、起床と、就寝とを繰り返している。まるで、住宅街の家と家の間、暗い影の淵で、木枯らしに弄ばれる落ち葉である。今にも地面に落下しそうな装いで、しかし、瞬間瞬間の、追い風とも言えぬ微かな気流に巻き上げられて、運良く落ちずに済んでいる。陰惨な光景である。

健康的じゃない。人間はもっと、己の健康に貪欲であって良い。社会の何よりも、己自身が大切であって良い。そのためには、思考の放棄、逃避、諦め、時にこれが肝心である。私は、眼前にそびえる問題の全てを、一旦、五月病という大義名分に投げ打って、実際の私の反省は、来月、6月になってから、それで良しということに決めた。私は今日まで、五月病であった。重度の五月病ゆえに、耐えがたいほどの不調、不具合を抱えて、それゆえ各方面で数々の不手際をしでかした。しかし、少なくともあと7日も経てば、徐々に快復するだろう。そうしたら、五月病の最中で起こった問題について、ひとつひとつ検討をし、熟考して、私はきっと、明るい解決方法を導き出すだろう。闘病中は数千メートル級の山の如く感じられた数多の問題課題も、ひとつずつ手に取って、丁寧に解きほぐしてゆけば、実は砂場の山くらいであったとわかって、己の狼狽ぶりを思い返し、ケラケラ笑い転げるだろう。梅雨のどしゃ降りの力も借りて、砂場は綺麗さっぱり洗い流されるだろう。五月病の苦しみを忘れて、これまでに無く快活な、清潔な精神で夏を迎えることだろう。

ここに、私の五月病を発表する。あなたにも、確かに伝えました、五月病声明。

死ぬる枯れ葉

裸眼で外を歩くのは、恐らく十数年ぶりのことである。15歳からコンタクトレンズを着け始め、それ以前は、ずっとメガネを着用していた。視力が、悪い。頭のてっぺんからつま先までの間で、ほとんどが平均点の機能を持つ中、視力だけが、著しく悪い。数値にして、0.1以下、裸眼では到底生活出来ず、外出など論外なのだが、今日は、一日中液晶モニターを凝視し続けていたために、眼球の疲労がピークを超え、遂に、どこを向いても何を見ても涙、という悲惨な状態になってしまって、文字通り、泣く泣くコンタクトレンズを外した。しかし、現在時刻は20時、私は壮絶に、コンビニのアイスが食べたいのである。

メガネをすれば良いのだろうけど、メガネを掛けた自分の顔は、あまり他人に見せたいものではないし、それに、コンビニまでは数分の距離だから、裸眼でも案外平気なのではないかしらん、と、そういうめでたい楽観さで、私は、裸眼でぼやける視界の中、鍵と財布だけを握りしめて、玄関扉を開け放った。

 

外は、真っ黒な闇であった。当然である。時刻は20時を過ぎている。手の記憶だけを頼りに、鍵穴に鍵を差し込み、施錠した。振り返ると、闇。透明度が高く、奥行きのある暗闇の様子は、まるで深海の底である。若干冷えた風が裸の眼球を撫ぜて、私は生まれて初めて、眼が寒い、という感覚を味わった。深海に一歩踏み出してみると、足元で、グシャリ、という音がした。枯れ葉か何かを踏み付けたようだが、下を向いても、これまた、闇。目の前の闇の中に、スニーカーの底に潰され、粉々にされた枯れ葉を思い描いてみて、ふと、死ぬる枯れ葉、という言葉が浮かんだが、枯れ葉とは本来、私に踏み付けられるより以前に、既に死んでしまっている。

ほとんど毎日歩いている道なりに、冷たい闇の中を歩く。頭上には規則的に白い明かりが浮かんでおり、私の乱視によって随分膨張してしまっているが、たぶん、街灯の明かりである。見上げながら歩いて行くと、街灯の並びから少し外れて、上の方にひとつだけ、さらに大きく光る白い明かりがあった。月、だろうか、さながら満月のような存在感だが、はたして、今日は満月の日であったか。コンビニで買い物を済ませ、帰り道でも振り返ってみるが、先程の月らしき明かりは見当たらない。街灯の明かりだけが、規則的に浮かんでいる。さっき私の見た月は、一体何の明かりだったのか。今の私には、確かめる術がない。

 

ポケットの鍵を取り出しながら、玄関扉の前に立つと、足元でまた、グシャリ、という音がした。出発の時に踏み付けた枯れ葉だろう、既に死んでしまっている生命をさらに踏み付け、押し潰す私は、墓荒らしと同等の無礼さがあるように思える。ちらと足元を覗き込んだが、やはり、ただの闇。玄関扉を手前に開くと、扉と地面に挟まれて、闇の中でさらに、グシャリ、グシャリ、と音が鳴る。家に入って、扉を閉じた。本当に、枯れ葉だったのだろうか。グシャリ、の正体は、実は蝶の死体、蛇の抜け殻、あるいは、単に捨てられたビニール袋だったかも知れない。闇の中で私は、何を踏み付け、押し潰していたのだろう。あいにく、今の私には、確かめる術がないのだけれど。

招き猫を買った話

20代の内に持つべき物は何か。所有品、購入品とは、限りなく個人の趣味趣向に基づいた物であって、そこに「べき」を用いること自体が不粋であるというのは重々承知の上で、どうしても、ひとつ、強く提案したい。招き猫である。招き猫とは、あの招き猫である。ラーメン屋の券売機の上に置かれていたり、定食屋のレジに座っていたりする、アレである。なぜ、店を持つわけでもない個人の、さらには20代前半の私が招き猫を持たねばならなかったのか。それを説明するには、まずは招き猫という「日常の特異点」について語る必要があるだろう。

 

私が生まれて初めて小説を書いたのは、15歳の時である。愛読していた推理小説に憧れて、1000文字程度の短いミステリーを書いた。作中には読者の先入観を促すような表現を入れ込んで、全体を通して「語り手は誰か」という問題を提示した。愛読書を真似た、私なりの叙述トリックであった。そして、答えを言ってしまえば、この作品における「語り手」というのが正に、招き猫だったわけである。

どういう経緯でそうなったのか、ともかく、初めて小説を書いてみよう、それもミステリーを、と思った時に、キーワードとして、と言うより、もはや作品全体のテーマとして、身の回りの数ある物事の中からわざわざ選び取ったのが、招き猫。一般的な日常の範囲内に確実に存在するもの、しかし、個人の生活の中で、必ずしも深く関わるとは言えない異質なもの、その両方を満たす存在が、招き猫、そのものであった。当時はネットを全然やらなかったから、私は完全に想像で、招き猫について書いていた。今、眼前に佇む招き猫は、その時想像していたよりも遥かに派手な出で立ちで、それでいて、ひどく芸術的である。

日常の特異点、と言えるだろう。我々日本人の中に、これまでに招き猫を手に取り、凝視し、その感触を確かめたことがある者は、どの程度いるだろうか。触ったことも無く、実物が無ければ絵に描くことすら難しい、しかし、実際に対面すれば、全員が「招き猫である」と断言できる。異質、極まりない。日常にあって、日常でない。日常の特異点、である。似た性質のものに、信号機が当てはまると考えている。私は一時期、信号機の、あの光る部分を丸ごと買おうと、本気で悩んでいた時期があった。

 

「日常の特異点」を所有するとは、つまりどういうことか。日常の中に、絶対的に影響を受けない、かつ、及ぼさない、生活とは全く無関係の、揺るぎない一点を持つ、ということである。仕事に失敗しようが、宝くじが当たろうが、食事が不味かろうが、恋人が出来ようが、招き猫は招き猫であって、それ以上にもそれ以下にもなり得ない。生産も消費もせず、時間が経っても大して傷まない。そういう堂々たる基準が、1人につき1つくらい、あって然るべきではなかろうか。

もちろん、それが信号機であっても構わない。友人や恋人であったら、さらに幸福である。私の場合は、招き猫であった。私の生活から最極端の、最も遠い場所にあり、しかし、絶対にそこにあると断言できるもの。私の生活の全ては、この招き猫という分銅によって均衡を保っている。

いつかペデストリアンデッキで。

「駅から続くペデストリアンデッキに…」という所まで読んで、まるで久方ぶりに頭を抱えてしまった。文字列を指でなぞりながら、ペデストリアンデッキ、と口の中でゆっくり噛み砕いてみるが、その食感に覚えはなく、どうも化学的な、全く異質な感じである。慌てて前後のページをめくり、なるべく意識的に音読してみたりもするが、やはり、ペデストリアンデッキ、で引っ掛かる。この小説の主人公は、私と同年代の社会人で、ごく普通の生活を送る一般人のはずだが、彼の日常に存在するものとして、何の前触れもなく、当たり前に登場するということは、つまり、同年代の私の日常においても、当たり前にあって然るべきもの、ということである。ひとり静かに狼狽した。私は、これまでの23年間で一度も、「ペデストリアンデッキ」という単語を自覚した事がない。

 

稀に、こういうことにぶち当たるのである。他人が日常的に使っている言葉を、私だけが全く知らない、聞いたことがない、どの方面で使う言葉かすら判別出来ない。最近だと、「狼藉(ろうぜき)」。「悪事を働く」と同じ意味で「狼藉を働く」と言うらしいが、それなら何故素直に「悪事」と言わないのだと、ヤキモキしながら辞書を読み進めていくと、最後に「時代劇でよく使われる」とあって、腑に落ちた。私は時代劇を微塵も観ないから、知らなくて当然である。他にも、これは何度説明されても、その非日常的語感に当てられて忘れてしまうのだが、「エンゲル係数」、中学で習う単語らしい。私は中学をサボりにサボったために、成人して初めて「エンゲル係数が…」と言う友人と出会して、驚愕した。先程の「狼藉」は、日常生活ではまず使わないから安心出来るが、「エンゲル係数」は私以外のほとんどの日本人が知っているそうで、もう正真正銘の恥である。散々サボった中学を卒業し、高校に入学してみると、クラスメイト全員が「それな」と相槌打っていたのも、衝撃的であった。全く初めて耳にする相槌であった。

私は、インプットの偏り、義務教育の放棄、加えて、人との交流の少なさという、諸々の努力不足によって、稀に「国語知識の欠乏による人とのすれ違い」が発生している。由々しき事態である。辞書を、読むべきであろう。勉強せよ。

 

「駅から続くペデストリアンデッキに…」。ここはひとつ、馬鹿正直に辞書を引く前に、考察してみようと思う。前半の「駅から続く」から察するに、十中八九、駅前の施設、駅前の景色を指すだろう。ペデストリアン、デッキ。デッキ、ウッドデッキ、縁側、甲板。当たり前に駅前にあって、デッキのような見た目の建造物。仙台駅前の、アレではないか。駅前のバスロータリーや大通りの上を、駅ビルから地続きの高架の広い歩道が蓋をしている。辞書で検索してみると、正解だった。東京だと、北千住駅、三鷹駅辺りが想像しやすい。立川駅のペデストリアンデッキも、巨大である。最初に思い付いた仙台駅のペデストリアンデッキは、あれは圧巻と言わざるを得ない広大さであったが、床面積は実に1万3000平方メートル以上、「日本最大級のペデストリアンデッキ」とある。「駅から続くペデストリアンデッキに…」。見えるは、会社帰りのサラリーマンの背中か、聴こえるは、路上ライブするバンドマンの歌声か。

 

言葉には、ざっくり3段階あると思っている。初段、日常生活で必要不可欠な言葉。中段、知らなくても生活には困らないが、稀に、知らないと円滑にコミュニケーション出来ない場合がある言葉。上段、専門的な、特定の界隈のみで通用する言葉。3段階のうち、私は、中段の知識が乏しい気がしてならない。知らなかったとて、誰も責め立てたりはしないだろうが、笑って許される20代前半のうちに、どうにか、中段の試験で満点が取りたいと、そう思うのである。

勉強をせよ。さすれば、いつかペデストリアンデッキで、あなたと気兼ねなく会話を楽しめますように。

他人の不思議は世の不思議

他人の不思議は世の不思議、とは常々言われることですが、いえ、実はついさっき思い付いた私自身の言葉なのですが、あまりに自然と口をついて出たために、これはきっと、いつか読んだ小説の一文か何かだろうと思い込み、しかし、いざネットやら辞書やらを調べてみても、他人と世と不思議、この3つが並ぶ台詞はどこにも見当たらず、恐ろしいかな、どうやら私は、他人の不思議は世の不思議、などという、幼稚な格言の生みの親らしいと分かって、にわかに身体が震えました。

ただでさえ言葉選びがキザな上に、格言が格言たるまでの経緯が余りにも情けない話なので、どうしても愚痴っぽくなってしまうのですが、簡潔に申しますと、仕事の面接に失敗した、というのが、先の格言が生まれるキッカケとなった事象の全てなのでございます。

 

面接の失敗、それだけなら、就活シーズンを経た世の中にはわんさか溢れ返っているエピソードだと思われますが、今回私が経験したのは、その数多の面接の中でも最も凶悪な、悪質なやり口の面接でした。その会社の会議室に通されると、4帖程度の狭い部屋に押し込まれた大きなデスク、その一辺の席に3人の男性社員が仏頂面で座っており、私はその対面に1人で座りました。だだっ広いデスクを挟んで3対1、さながらボードゲームでも始まりそうな緊張感でしたが、私はとにかく仕事に困っている現状だし、強張る身体をなんとか奮い立たせて、マスクからはみ出るくらい、これでもかと口角を引き上げて、声色明るく、歯切れ良く喋り、すると、3人の対戦相手にもだんだん笑みが溢れるようになってきて、加えて、私が提出した写真満載のポートフォリオも好評、遂には「頼もしい」「入社してくれたら助かる」なんて台詞も飛び出し、質疑応答の時間になる頃には、具体的な仕事の手順から社内の雰囲気まで、まるでもう入社が確定事項かのように、社内の事情を隅から隅まで教えてくださりました。帰り際には、壁に貼ってある社内サークルの活動誌まで紹介され、入社したら私の直属の上司になるという男性は「慣れてきたら、こういうのにも参加できます」と仰った。帰りはエントランスまで送っていただき、さあ、そこでいよいよ、この台詞である。「採用、不採用のご連絡は1週間以内にメールでお送りします」。そしてこの後、約束の1週間が経っても、採用のメールが届くことは無かった。

 

私の混乱ぶりは見るに耐えないものであった。何せ、あれだけ一から十まで感触の良い面接は初めてだったから、ますます、訳がわからない。私の不採用は、どこで決定されたのか。質疑応答で、何かまずい事を口走っただろうか。面接官たちから溢れたあの笑みは、笑みじゃなく、嘲笑だったのか。まさか、私があの狭い会議室に足を踏み入れ、緊張感、などと思った時点で、とっくに不採用の決定が下されていたのだろうか。それなら、救いようが無い。せめてもの慈悲で、気分の良い面接体験にしてあげましょう、という、面接官たちの配慮だったのかも知れぬ。残酷、極まりないではないか。

約束の7日目が明けて、8日目の昼。私は、貯金の口座から万札を下ろし、ショッピングモールまでトボトボ歩いて、フードコートで高いサンドウィッチとLサイズのポテトを食べた。書店に寄って、文庫本の棚にへばりつき、好きな作家の本が全然無いことに愕然として、普段なら絶対見向きもしないだろうジャンルの背表紙を舐めるように物色して、哲学書を2冊、「自省録」と「死に至る病」を掴んで、レジに持ち込んだ。家に帰り、デスクライトの元、「自省録」を捲ると、1行目に「清廉と温和」とあって、そこでもう全部が嫌になって、閉じた。机に本を放って、他人の不思議は世の不思議、まるで唐突に、無意識に、かの格言が口をついて出たわけである。

 

他人の不思議は、イコール、世の中の不思議である。他人の不可解な心情、感性、考え方は、私には到底理解出来ないものであり、他人の集合体である世の中もすなわち、自分には到底理解出来ない。あの和やかな面接が不採用であるなら、世の中に溢れる平和な風景も、もはや本当の平和かどうか、怪しくなって来る。また、私が時折感じる、世の中と自分との微妙なズレ、違和感、それらを分解し、砕いた小さな破片のひとつが、今回の面接のような事象なのだと思われる。他人の不思議は世の不思議。私は、自分が世の中と分かり合える日が来るとは、到底思えないのである。

 

そして、この面接の一連の事象は、実に悪質な、恐ろしい結末で幕を閉じる。面接から10日目の夜。スマホを開くと、メールが1通、届いていた。送信者は、あの会社である。震える指でメールを開くと、そこには、人事部担当者の名前、私の名前、そして、最後に、一文、是非一緒に働きたいと思います、と、そう書かれていた。

春は何色か

夜桜を見に行きましょう、と誘われたのが、当日の19時過ぎである。支度して、静かな住宅街をひたひた歩き、遠くに川沿いの桜並木が見えてくる頃には20時を過ぎていた。川沿いの歩道は暗く、数メートル置きにある灯籠の黄色い明かりだけがぼんやり光って、歩道脇から川へ枝垂れるソメイヨシノの輪郭を微かに照らしていた。隣を歩く母が、「20時までに間に合ったら、ピンク色の提灯でライトアップされた桜が見られたのだけど」と言った。ピンク色の桜をさらにピンクで照らすとは、随分徹底している。しばらく歩くと、並木の途中に、背の高い街灯がポツンと立っており、その足元まで行って、見上げてみると、白い蛍光灯に照らされて真っ白に輝く桜が浮かんでいた。桜の花弁は、光をよく反射する。東京の桜は、もうとっくに満開である。

 

春といえばピンク色、というのが私たち共通の認識だが、なぜ春がピンクか、と言われれば勿論、桜がモチーフだからである。私は今日、生まれて初めて桜前線の図を凝視したのだが、それによれば、日本列島のほとんどの桜が3月中に開花しており、例えば東京の開花は3月14日、一方で、札幌の開花は4月5日とある。列島が南北に細長いせいで開花、ひいては満開の時期に大きなズレが生じている関わらず、列島一様に「入学式は桜、新学期は桜、新生活は桜」というイメージが定着し、「春は桜」という固定観念が無意識下にまで根付いているのは、「主食は米」というのと同じレベルに日本人特有の習性だと思われる。

つまり、我々は先祖代々数百年に及ぶ生活によって、限りなく本能に近いところに「春=桜=ピンク色」という認識が刻まれているわけだが、では、その認識が無かった場合、具体的に言えば「桜」の部分が、例えば「ヒヤシンス」だった場合、春を象徴する色は何色になるだろうか、という疑問がある。将軍は城の周りをヒヤシンスで彩り、子どもの誕生を祝って庭先にヒヤシンスを植え、校庭の隅にはヒヤシンスが群生し、春になればヒヤシンスを見に大勢の人々が行き交う。日本人が数百年かけてそういう生活を営んできたとしたら、「春」のイメージはピンク色になり得ないのではないか、と考えてみると、私は初めて、日本では何故こんなにも桜が尊ばれるのかということに合点がいって、思わず声が出そうになったのだが、そういうことを日本人は皆、承知の上で花見を嗜んでいるのだろうか。私は、春と桜とピンク色の重大な秘密を、遅ばせながら今日初めて発見した。

 

この発見によれば、春のイメージは春に咲く花がモチーフである、という式が確立されるが、これが日本以外の国でも同様だとしたら、興味深い。私は海外で暮らしたことがないから分かりかねるが、「春=黄色い花=黄色」の国や「春=青い花=青色」という国があるかも知れない。どの国でも自国の春の花がそのまま春のイメージとして確立されているのなら、「春=〇色」という固定観念は、最も美しい国民性と言えるのではなかろうか。

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