死ぬる枯れ葉

裸眼で外を歩くのは、恐らく十数年ぶりのことである。15歳からコンタクトレンズを着け始め、それ以前は、ずっとメガネを着用していた。視力が、悪い。頭のてっぺんからつま先までの間で、ほとんどが平均点の機能を持つ中、視力だけが、著しく悪い。数値にして、0.1以下、裸眼では到底生活出来ず、外出など論外なのだが、今日は、一日中液晶モニターを凝視し続けていたために、眼球の疲労がピークを超え、遂に、どこを向いても何を見ても涙、という悲惨な状態になってしまって、文字通り、泣く泣くコンタクトレンズを外した。しかし、現在時刻は20時、私は壮絶に、コンビニのアイスが食べたいのである。

メガネをすれば良いのだろうけど、メガネを掛けた自分の顔は、あまり他人に見せたいものではないし、それに、コンビニまでは数分の距離だから、裸眼でも案外平気なのではないかしらん、と、そういうめでたい楽観さで、私は、裸眼でぼやける視界の中、鍵と財布だけを握りしめて、玄関扉を開け放った。

 

外は、真っ黒な闇であった。当然である。時刻は20時を過ぎている。手の記憶だけを頼りに、鍵穴に鍵を差し込み、施錠した。振り返ると、闇。透明度が高く、奥行きのある暗闇の様子は、まるで深海の底である。若干冷えた風が裸の眼球を撫ぜて、私は生まれて初めて、眼が寒い、という感覚を味わった。深海に一歩踏み出してみると、足元で、グシャリ、という音がした。枯れ葉か何かを踏み付けたようだが、下を向いても、これまた、闇。目の前の闇の中に、スニーカーの底に潰され、粉々にされた枯れ葉を思い描いてみて、ふと、死ぬる枯れ葉、という言葉が浮かんだが、枯れ葉とは本来、私に踏み付けられるより以前に、既に死んでしまっている。

ほとんど毎日歩いている道なりに、冷たい闇の中を歩く。頭上には規則的に白い明かりが浮かんでおり、私の乱視によって随分膨張してしまっているが、たぶん、街灯の明かりである。見上げながら歩いて行くと、街灯の並びから少し外れて、上の方にひとつだけ、さらに大きく光る白い明かりがあった。月、だろうか、さながら満月のような存在感だが、はたして、今日は満月の日であったか。コンビニで買い物を済ませ、帰り道でも振り返ってみるが、先程の月らしき明かりは見当たらない。街灯の明かりだけが、規則的に浮かんでいる。さっき私の見た月は、一体何の明かりだったのか。今の私には、確かめる術がない。

 

ポケットの鍵を取り出しながら、玄関扉の前に立つと、足元でまた、グシャリ、という音がした。出発の時に踏み付けた枯れ葉だろう、既に死んでしまっている生命をさらに踏み付け、押し潰す私は、墓荒らしと同等の無礼さがあるように思える。ちらと足元を覗き込んだが、やはり、ただの闇。玄関扉を手前に開くと、扉と地面に挟まれて、闇の中でさらに、グシャリ、グシャリ、と音が鳴る。家に入って、扉を閉じた。本当に、枯れ葉だったのだろうか。グシャリ、の正体は、実は蝶の死体、蛇の抜け殻、あるいは、単に捨てられたビニール袋だったかも知れない。闇の中で私は、何を踏み付け、押し潰していたのだろう。あいにく、今の私には、確かめる術がないのだけれど。

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