いつかペデストリアンデッキで。

「駅から続くペデストリアンデッキに…」という所まで読んで、まるで久方ぶりに頭を抱えてしまった。文字列を指でなぞりながら、ペデストリアンデッキ、と口の中でゆっくり噛み砕いてみるが、その食感に覚えはなく、どうも化学的な、全く異質な感じである。慌てて前後のページをめくり、なるべく意識的に音読してみたりもするが、やはり、ペデストリアンデッキ、で引っ掛かる。この小説の主人公は、私と同年代の社会人で、ごく普通の生活を送る一般人のはずだが、彼の日常に存在するものとして、何の前触れもなく、当たり前に登場するということは、つまり、同年代の私の日常においても、当たり前にあって然るべきもの、ということである。ひとり静かに狼狽した。私は、これまでの23年間で一度も、「ペデストリアンデッキ」という単語を自覚した事がない。

 

稀に、こういうことにぶち当たるのである。他人が日常的に使っている言葉を、私だけが全く知らない、聞いたことがない、どの方面で使う言葉かすら判別出来ない。最近だと、「狼藉(ろうぜき)」。「悪事を働く」と同じ意味で「狼藉を働く」と言うらしいが、それなら何故素直に「悪事」と言わないのだと、ヤキモキしながら辞書を読み進めていくと、最後に「時代劇でよく使われる」とあって、腑に落ちた。私は時代劇を微塵も観ないから、知らなくて当然である。他にも、これは何度説明されても、その非日常的語感に当てられて忘れてしまうのだが、「エンゲル係数」、中学で習う単語らしい。私は中学をサボりにサボったために、成人して初めて「エンゲル係数が…」と言う友人と出会して、驚愕した。先程の「狼藉」は、日常生活ではまず使わないから安心出来るが、「エンゲル係数」は私以外のほとんどの日本人が知っているそうで、もう正真正銘の恥である。散々サボった中学を卒業し、高校に入学してみると、クラスメイト全員が「それな」と相槌打っていたのも、衝撃的であった。全く初めて耳にする相槌であった。

私は、インプットの偏り、義務教育の放棄、加えて、人との交流の少なさという、諸々の努力不足によって、稀に「国語知識の欠乏による人とのすれ違い」が発生している。由々しき事態である。辞書を、読むべきであろう。勉強せよ。

 

「駅から続くペデストリアンデッキに…」。ここはひとつ、馬鹿正直に辞書を引く前に、考察してみようと思う。前半の「駅から続く」から察するに、十中八九、駅前の施設、駅前の景色を指すだろう。ペデストリアン、デッキ。デッキ、ウッドデッキ、縁側、甲板。当たり前に駅前にあって、デッキのような見た目の建造物。仙台駅前の、アレではないか。駅前のバスロータリーや大通りの上を、駅ビルから地続きの高架の広い歩道が蓋をしている。辞書で検索してみると、正解だった。東京だと、北千住駅、三鷹駅辺りが想像しやすい。立川駅のペデストリアンデッキも、巨大である。最初に思い付いた仙台駅のペデストリアンデッキは、あれは圧巻と言わざるを得ない広大さであったが、床面積は実に1万3000平方メートル以上、「日本最大級のペデストリアンデッキ」とある。「駅から続くペデストリアンデッキに…」。見えるは、会社帰りのサラリーマンの背中か、聴こえるは、路上ライブするバンドマンの歌声か。

 

言葉には、ざっくり3段階あると思っている。初段、日常生活で必要不可欠な言葉。中段、知らなくても生活には困らないが、稀に、知らないと円滑にコミュニケーション出来ない場合がある言葉。上段、専門的な、特定の界隈のみで通用する言葉。3段階のうち、私は、中段の知識が乏しい気がしてならない。知らなかったとて、誰も責め立てたりはしないだろうが、笑って許される20代前半のうちに、どうにか、中段の試験で満点が取りたいと、そう思うのである。

勉強をせよ。さすれば、いつかペデストリアンデッキで、あなたと気兼ねなく会話を楽しめますように。

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