レアチーズケーキの白い断面が、ブルーベリーソースの鮮やかな紫色に侵食されていった。丸い平皿の中心部に、綺麗な円を描いて盛り付けられたブルーベリーソースと、その上にひっそり置かれた一切れのレアチーズケーキは、その完璧な色合いと配置から、ほとんど絵画のようだった。私は再び、チーズケーキにフォークを差し込んで、ついでにブルーベリーソースを少し掬うと、ケーキに撫ぜられた部分だけ皿底の白さが覗き、しかし、すかさず周りのブルーベリーソースがにじり寄って、あっという間に紫色が白い部分を覆い尽くしてしまった。フォークの方を口に運ぶと、まるでレアチーズをそのまま押し固めたような、ねっとりとした舌触り、そして、ブルーベリーのむせ返るような甘酸っぱさに、酔っ払ったような感覚に陥る。アルコール。良いチーズケーキとブルーベリーを混ぜ込むと、合法で酒が完成する。
ポケットからスマホを取り出して、点けると、14:30とあった。日曜日の昼過ぎである。テーブルの上には、私の、いまだ白紙のまま開かれたノートと、シャープペンシルが放置されている。ケーキに合わせて注文した苦いコーヒーをひと口含んで、店内を見渡した。黒いタイル張りの床に、石のような灰色の壁。焦茶色の重そうなテーブルと、細い木を組んで作られた華奢な椅子のセットが、全部で5つある。部屋の角には、大きなプリン型のカバーが掛かった照明ランプが佇み、壁際には、いかにもアンティークの、天井まで届きそうな大きな食器棚がひとつ置かれている。スピーカーは見当たらないが、店内にはそこそこ大きな音量で、クラシックだかオペラだかが響いていた。
私はちょうど、入り口から入って最奥の、隅の席に座っているため、首を捻じらなくとも、狭い店内の隅々まで観察することが出来た。また、私のちょうど正面の壁には、厨房へと通じるドアがあり、ドアには細いガラス窓がついているから、店員が厨房を行き来する様子もよく見えた。店員は、年齢の読めない坊主の青年だった。
私は、いつの間にか空になっていたコーヒーカップをソーサーに置いて、厨房の方を見た。おかわりが欲しかった。しかし、青年は作業に忙しいようで、何度かガラス窓越しに背中は見えるものの、私の視線に気付く様子がない。数秒待って、諦めてテーブルに視線を落とした。半分だけ食べられたチーズケーキの足元は、すっかりブルーベリーの紫色に染まっていた。また顔を上げると、今度は厨房のドアの向こうに、ガラス窓に額を押し付けるようにして、青年がこちらを凝視していた。あっ、と口を開きかけると、青年はギッとドアを開けて、ツカツカ歩み寄って来て、私の目の前で立ち止まった。青年は黙って私の顔を見つめた。私は呆気に取られながらも、努めて冷静に、「ブレンドのおかわりを」と言う。青年は「はい」とだけ言って、空のコーヒーカップを取り上げて厨房に戻り、すぐに新しいコーヒーカップを運んで来て、テーブルに置いた。そしてまた、黙って厨房へと引き返して行った。
コーヒーカップをつまみ上げて、熱いコーヒーを口に含む。私は、コーヒーの味など分からないはずなのだけど、最初のコーヒーと、このコーヒーとでは、何だか微妙に違いがあるように感じられた。味は同じ、だけども、形が違うような。これが、コーヒーの違いなのか、それとも、このカフェの奇妙な雰囲気に当てられた私の勘違いなのか、判別出来ない。ガラス窓の向こうでは、また青年が忙しそうに、右に左に、歩き回っている背中が見える。私はシャープペンシルを握り、テーブルの上に広げたままのノートの隅に、小さく、「白昼夢」と書き込んだ。