五月病声明

五月病である。3月、4月の不調の大概は花粉症のせいにしてしまえるのと同じ理屈で、5月1日から31日間の不調、不具合、しでかした不手際の数々まで、その責任の全ては、五月病という名のもとに一括りにしてしまえる。いまだ、向き合うべき問題は眼前高々に山積みにされ、どこから手を付けるべきなのか、私が背負うべき責任は、果たしてどのくらいの質量になるのか、そもそも、明確な解決案のある問題など存在するのか、そういう漠然とした不安が至るところに停滞しているのを、毎分、毎秒、神経の節々で感じ取りながら、なんとか力んで、起床と、就寝とを繰り返している。まるで、住宅街の家と家の間、暗い影の淵で、木枯らしに弄ばれる落ち葉である。今にも地面に落下しそうな装いで、しかし、瞬間瞬間の、追い風とも言えぬ微かな気流に巻き上げられて、運良く落ちずに済んでいる。陰惨な光景である。

健康的じゃない。人間はもっと、己の健康に貪欲であって良い。社会の何よりも、己自身が大切であって良い。そのためには、思考の放棄、逃避、諦め、時にこれが肝心である。私は、眼前にそびえる問題の全てを、一旦、五月病という大義名分に投げ打って、実際の私の反省は、来月、6月になってから、それで良しということに決めた。私は今日まで、五月病であった。重度の五月病ゆえに、耐えがたいほどの不調、不具合を抱えて、それゆえ各方面で数々の不手際をしでかした。しかし、少なくともあと7日も経てば、徐々に快復するだろう。そうしたら、五月病の最中で起こった問題について、ひとつひとつ検討をし、熟考して、私はきっと、明るい解決方法を導き出すだろう。闘病中は数千メートル級の山の如く感じられた数多の問題課題も、ひとつずつ手に取って、丁寧に解きほぐしてゆけば、実は砂場の山くらいであったとわかって、己の狼狽ぶりを思い返し、ケラケラ笑い転げるだろう。梅雨のどしゃ降りの力も借りて、砂場は綺麗さっぱり洗い流されるだろう。五月病の苦しみを忘れて、これまでに無く快活な、清潔な精神で夏を迎えることだろう。

ここに、私の五月病を発表する。あなたにも、確かに伝えました、五月病声明。

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