春は何色か

夜桜を見に行きましょう、と誘われたのが、当日の19時過ぎである。支度して、静かな住宅街をひたひた歩き、遠くに川沿いの桜並木が見えてくる頃には20時を過ぎていた。川沿いの歩道は暗く、数メートル置きにある灯籠の黄色い明かりだけがぼんやり光って、歩道脇から川へ枝垂れるソメイヨシノの輪郭を微かに照らしていた。隣を歩く母が、「20時までに間に合ったら、ピンク色の提灯でライトアップされた桜が見られたのだけど」と言った。ピンク色の桜をさらにピンクで照らすとは、随分徹底している。しばらく歩くと、並木の途中に、背の高い街灯がポツンと立っており、その足元まで行って、見上げてみると、白い蛍光灯に照らされて真っ白に輝く桜が浮かんでいた。桜の花弁は、光をよく反射する。東京の桜は、もうとっくに満開である。

 

春といえばピンク色、というのが私たち共通の認識だが、なぜ春がピンクか、と言われれば勿論、桜がモチーフだからである。私は今日、生まれて初めて桜前線の図を凝視したのだが、それによれば、日本列島のほとんどの桜が3月中に開花しており、例えば東京の開花は3月14日、一方で、札幌の開花は4月5日とある。列島が南北に細長いせいで開花、ひいては満開の時期に大きなズレが生じている関わらず、列島一様に「入学式は桜、新学期は桜、新生活は桜」というイメージが定着し、「春は桜」という固定観念が無意識下にまで根付いているのは、「主食は米」というのと同じレベルに日本人特有の習性だと思われる。

つまり、我々は先祖代々数百年に及ぶ生活によって、限りなく本能に近いところに「春=桜=ピンク色」という認識が刻まれているわけだが、では、その認識が無かった場合、具体的に言えば「桜」の部分が、例えば「ヒヤシンス」だった場合、春を象徴する色は何色になるだろうか、という疑問がある。将軍は城の周りをヒヤシンスで彩り、子どもの誕生を祝って庭先にヒヤシンスを植え、校庭の隅にはヒヤシンスが群生し、春になればヒヤシンスを見に大勢の人々が行き交う。日本人が数百年かけてそういう生活を営んできたとしたら、「春」のイメージはピンク色になり得ないのではないか、と考えてみると、私は初めて、日本では何故こんなにも桜が尊ばれるのかということに合点がいって、思わず声が出そうになったのだが、そういうことを日本人は皆、承知の上で花見を嗜んでいるのだろうか。私は、春と桜とピンク色の重大な秘密を、遅ばせながら今日初めて発見した。

 

この発見によれば、春のイメージは春に咲く花がモチーフである、という式が確立されるが、これが日本以外の国でも同様だとしたら、興味深い。私は海外で暮らしたことがないから分かりかねるが、「春=黄色い花=黄色」の国や「春=青い花=青色」という国があるかも知れない。どの国でも自国の春の花がそのまま春のイメージとして確立されているのなら、「春=〇色」という固定観念は、最も美しい国民性と言えるのではなかろうか。

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