仲春はゆっくりと通り過ぎる

寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。

脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほどの激しい頭痛に襲われ、10年振りに救急車を呼び、救急外来と町医者と総合病院と、合計3回も医者にかかって、結局、原因は分からずじまいである。医者は相変わらず「原因不明では対処出来ない」というスタンスで、診察室の椅子でうなだれる私の悲痛な訴えが聴こえているのか、いないのか、毎度、解熱剤だけ処方する。永遠に続くかに思われた高熱は、3回目の医者で処方された「特殊な解熱剤」によって解熱された。最初に熱を出した日から実に8日が経過していた。

今思い返してみても、まるで夢だったかのように記憶のはっきりしない1週間であった。最近会う人会う人は皆、決まってひと言目に「もう大丈夫なのか」「大変だったねえ」と心配してくださるのだが、なんせ原因不明という有り様なので、説明のしようがなくて困ってしまう。行く先々、各方面で不本意な苦笑いを振りまいている現状である。

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JR池袋駅の改札を出ると、地下街は帰路に着く人々でごった返していた。平日の18時なのだから無理もない。混雑の熱気に加えて、猛威を奮う花粉のために、マスクの下では常に鼻をすすり続けているので、息苦しい。私はパンパンに荷物の詰まったリュックを背負い、右手にはパスケース、左手には保冷バッグをぶら下げて、乗り換える路線を目指し歩いた。池袋からさらに1時間、ドアtoドアで片道合計2時間弱の恋路である。

私が高熱の夢に魘されている間、仕事終わりに車を飛ばして会いに来てくれた恋人に、ホワイトデーのチョコレートを渡しに行くのだ。高熱で潰れたバレンタインデーの、1ヶ月越しのリベンジである。保冷バッグには、昼間、ココアパウダーだらけになりながら作った生チョコレートが入っている。保冷バッグを水平に保ちながら持ち上げて改札を抜け、ちょうどホームにやって来た電車に乗り込んだ。

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目的の駅に着く頃にはすっかり夜であった。駅を出ると、職場から直接来たのか、スーツ姿の彼が立っていて、私に気付くと右手を挙げて笑った。2人で駅前のコンビニで夕飯を買い、今日1日の出来事などを報告しあいながら彼の家を目指した。私は既にマスクでは誤魔化しきれないほどに鼻水とくしゃみが止まらなくなっていたので、「家を出た時はここまで酷くなかった」「今日の花粉は悲惨だ」と喚いた。彼は自身も詰まり気味の鼻声で、この街は都心に比べてスギ花粉の飛散が多いのだという地理情報を教えてくれた。

帰宅して早速保冷バッグから箱を取り出すと、彼は恐る恐る包装紙を開けて、おお、と感嘆した。今食べるか、それとも夕飯後に食べるかと尋ねると、「食後に取っておく」と言うので、私はちゃんぽんを、彼はサラダ麺を食べて、その後にもう一度包装紙を開けた。彼は4個ある生チョコレートのうち1個を楊枝で取って口へ運ぶと、途端に美味しい美味しいと繰り返している。慌てて「かなり甘いから1日1個ずつ食べて」と言ったのだが、彼はあっという間に3個の生チョコを平らげ、残った1個はどうするのかと思えば、「取っておきます」と宣言して、大事そうに冷蔵庫へと閉まっていた。ペットボトルのジュースを飲みながら、私たちはお互いの明日の予定と、向こう1ヶ月の予定と、その先数年間の理想について語り合った。猫と犬を1匹ずつ飼いたい、という結論になった。依然として私の鼻からは鼻水が絶え間なく流れ出ているが、そんなことは些細な問題に過ぎないと思った。

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