往来でひとり佇む

3つ歳下の、つまり昨年20歳になったばかりの友人と、どういう話の流れだったか、とにかく恋愛についての話題になって、普段より同世代との交流が少ない私はここぞとばかりに、「20代前半の若者は、どこでデートするのか」と尋ねると、彼女は呆気らかんと「水族館とか動物園とかですね」と言う。私は、私以外の若者はきっと、インスタを頼りに渋谷のお洒落なカフェへ出掛けたり、ナイトプールでクラフトビールを開けたり、揃いのジャージでサウナへ通ったり、言わば邦ロックバンドのMVのような、お洒落なロマンスを嗜んでいるのだろうと、皮肉に近い妄想をしていたために、その余りにも素朴な、可憐な交際の現実に驚愕してしまった。同世代の若者と、もっと話をしなければ、とも思った。さらに興味的なのが、彼女は今の恋人と、マッチングアプリで出会ったという点である。

限りなく冷静な場で出会いながら純粋にデートを楽しむ、若者の慎ましい交際に痛く感銘を受けてしまって、彼女と話したその日の夜に、私は躊躇いなくマッチングアプリをインストールした。要約すると、私は、極めて刹那的なメランコリイと好奇心によって、マッチングアプリに手を出したのである。そして、結論から言ってしまえば、私はその後、わずか1ヶ月足らずで退会ボタンを押すことになる。

 

マッチングアプリに入会すると、まず最初に、自己紹介文を登録する。自分を文章化することに抵抗は無いが、問題は、自分について余りにも詳細に説明し過ぎると、ネット上で特定されかねない、ということである。詳しい特技、趣味、仕事内容を書き連ねると、確実に「私」が浮き彫りになってしまう。私を構成する要素から、個性に直結しない、当たり障りのない事柄だけを拾い集めた時、どうやら私は「映画と読書を好むインドアな23歳」という、世界に数十万人いるだろう平々凡々な女子、ということになった。

実際、事実なのだから認めざるを得ないのだが、ペン立てのペン1本1本の差し方まで拘るほどに過剰な私の自意識は、この時点で若干の抵抗を覚え始めていた。そして、この平均化された私の自己紹介文が、次の困難を招くことになる。

 

自己紹介の一言目に「映画」と書いてしまったがために、マッチング相手から送られてくる一言目が「好きな映画は何ですか」「普段はどんな映画を観られますか」に決まってしまった。聞かれたら、答えるしかない。そして、質問に答えたら、当たり前の流れで「How about you」を返す必要があるだろう。結果、私はマッチングしたほとんど全員と「おすすめの映画」についてメールを交わし、私のメール受信箱には、古今東西あらゆる年代のおすすめ映画情報が集まる事態となり、終いには、私がおすすめした映画の感想を丁寧にまとめた長文まで送られて来てしまって、こうなってくると、人とマッチングというより、映画とマッチングしている感じである。必然的に、こちらも紹介された映画を観て感想を送らなければならなくなり、しかし、映画1本につき1時間は必要であるし、私は、どんなに良いと評価されたものでも、興味が沸かない限り鑑賞出来ない性格なので、ここまで来て、ようやく事の本末転倒さに気付いた。私は、マッチングアプリをインストールした時と同じくらいのスピードで、躊躇いなく、退会ボタンを押し込んだ。

 

マッチングアプリが悪いわけではない。完全に私の敗北である。余計な自意識を捨て去り、社交辞令を受け流すという、ある種の鈍感さが、マッチングアプリには必要である。いや、恐らくはリアルでの出会いにおいても、必要なのだと思われる。恋愛に限らず、人付き合いをする上で必要な気楽さ、適当さが、私には未だ乏しいように思われた。私が水族館でデートするのは、いつか未来の話である。

最後に、まだまだ少ないだろうマッチングアプリ経験者として、ひとつ、「自己紹介文の最初に『映画』と書くべからず」という淋しい教訓を、ここに記しておく。

夜間移動

19時半に最寄駅で友人と合流し、新宿に着いたのは21時より少し前であった。帰宅ラッシュは過ぎているものの、下り電車はほとんど満員であり、混み合う向かいのホームを眺めながら、私たちはスッカラカンの上り電車で並んで座り、今日明日のスケジュールをヒソヒソ話し合っているうちに、あっという間に新宿まで来てしまった。南口改札を出ると、大通りの向こうにバスタ新宿の四角い建物が聳え立っている。この旅の、最初の目的地である。「トイレはあるだろうか」「あるだろうね」などと小手先の不安を呟き合いながら、私たちはエスカレーターで4階を目指した。東京発の高速バスが全部集まる巨大ターミナルビルである。4階は乗車専用フロアであり、中央には大きな受付カウンターが構え、そのほか見渡す限りにソファベンチが並べられており、大きな荷物を抱えた旅客たちで賑わっていた。さながら空港の待合ロビーのようである。勿論トイレも、コンビニもあった。私は持参し忘れた歯ブラシを、友人はお菓子を購入した。最初のサービスエリアで一緒に歯磨きをしようと約束した。

日常において、夜間の移動といえば近所の散歩くらいだから、バスでの移動は新鮮である。乗り物酔いをする、という理由で、そもそもバスを避けていたから、今回も下手をしたら目的地まで辿り着けないのではと不安だったのだが、昼間のバスとは違って、夜間のバスには妙な安定感があり、夜の中を滑って進んでいくような、暗く冷たい深海をすっと泳いで行くような心地良さ、涼やかさがあって、不思議と一度も酔わなかった。

夜行バスの窓側の座席に沈み込み、車窓に流れる夜景を眺めながらイヤホンで邦ロック聴く、というロマンを楽しみにしていたのだが、友人に頼んで譲ってもらった窓側の席はカーテンが締め切られており、外を見たいなら手でカーテンを捲り上げ、隙間から覗き込むしかなかった。加えて、高速道路に乗ってしまうと、車線のすぐ横は高い塀であり、ただ真っ黒な壁がひたすら続いていくだけで、見栄えがしない。稀に、塀が途切れて、遠くの山間に民家の明かりがポツポツと散らついたが、あとはずっと、トンネルの中を走っているのと大差なかった。懸命にカーテンを捲り上げて景色を探すのは私1人だけのようで、私がカーテンを下ろすと、車内はいよいよ真っ暗闇になり、走っているのか停まっているのかすら判別出来ないほどだった。しかし、例えばカーテンのわずかな隙間から高速道路の照明の灯りがコマ送りのようにチラチラと連続的に車内を照らし初め、そのテンポが、イヤホンで聴いている曲とちょうど重なっているのを発見した時、息を呑むような感動があった。散歩中、歩くテンポと重なる曲は貴重だが、夜行バスの車内に差し込むチラチラは、大抵の曲とマッチした。

往路唯一の休憩所である足柄サービスエリアは、要塞のような灰色の建物で、中に入ると無数のトイレの個室が並んでおり、文字通り排泄するためだけの施設といった感じで、圧巻である。15分足らずでトイレも歯磨きも済ませて、またバスに乗り込み、暗闇でだらだらとスマホを弄っていたが、0時を過ぎると、持ち込んだおやつを食べるのも忘れて、すっかり眠りこけてしまった。

午前6時半。目覚めると、車内はうっすら明るかった。何気なくカーテンを捲ると、そこには、どこまでも広がる農地、ぽつりぽつりと佇む民家、その向こうに山、そして、はるか遠くの地平線の上に、朱色に輝く朝日があった。普段、昼近くに起きる生活の、さらには都会に暮らす自分では絶対に見られない朝日。きっかり、まん丸。エネルギッシュに光る満月のような。自分は、これまでしっかり日の出を見たことが無かったことを思い出した。今までに見た、どの太陽よりも美しかった。月が満月、三日月、半月と無数に呼び分けられるように、太陽もまた、朝日、夕日では、全然別個のものであると分かった。今すぐにでも立ち上がって、みなさん、素晴らしい朝日があります、カーテンを開けなさい、と叫びたい気分だった。この朝日だけで、この旅行に来た意味があったとさえ思った。

8時過ぎに、バスは小さなバスセンターに到着した。焦茶色の木造の小さな待合室で休憩し、ここから更に送迎バスに乗り換えるのである。木のベンチに座り、友人が買ってくれた紙パックジュースを啜りながら、地元の学生たちが通学バスに乗り込む背中を見送った。夜が明けたばかりの山間は流石の冷え込みようで、私はバスタ新宿を出発してからずっと仕舞いっぱなしだったジャンパーを引っ張り出し、実に10時間ぶりに袖を通した。

こうして、中学の修学旅行をサボったがために、未だ京都も大阪も奈良も観光したことがなく、23年間全くの未踏であった関西地方、三重県志摩半島に、私は上陸したのである。

局所的満足感

かねてより愛飲しているモンスターエナジードリンクが、昨今の物価高の影響により、先月ついに1缶205円から230円という30円近い値上げを決行したので、私はコンビニの清涼飲料コーナーで危うく悲鳴を上げかけた。値上げ、それ自体はそれなり話題になっていたし、私もネット記事のタイトルだけは見かけ、そりゃあこのご時世に多少の値上げは仕方がないでしょう、と大した興味もなく静観していたのであるが、いざ商品を手に取るぞという瞬間に、1缶230円。差し出したままの形で宙に浮かぶ右手を横へスライドさせ、その日私が取り上げたのは、1缶205円、値上げ前のモンスターエナジーと同じ値段のレッドブルの缶であった。

つまり30円得した形になるわけだが、帰宅した私がレッドブルを飲み下して感じたのは、ジメジメとした悲壮感である。店頭では値札だけを凝視していたから気にも留めなかったが、レッドブルはモンスターエナジーよりも内容量が100ml少ない。単純に、1ml単価が高級である。そして、モンスターエナジーを飲みなれてしまった私には、レッドブルは些かサッパリした味に感ぜられた。物足りないのである。小銭入れから230円出すか205円出すか、という局所的な天秤ではかった結果、肝心の味は満足出来ず、実際に得られた高揚感は、30円得した、という些細な事実それだけであった。余りにも一時的、局所的な高揚感であり、これこそ正しくドラッグと同じではないか、と我に返って、それ以降は大人しく230円のモンスターエナジーを買うことにしている。

 

私は、自分が思っている以上に些細な、一時的な差異によって、物事を選択しているようである。先日、友人とマクドナルドへ入って、私はコカコーラゼロを、友人は普通のコカコーラを注文したら、トレイに載って出て来たのは全く同じ見た目のカップ2杯であった。蓋を開けてみても、コーラゼロとコーラでは同じ茶色の炭酸である。すると友人が「自分は飲めば両者を見分けられる」と言い出すので、カップを差し出し、一口ずつ飲んでもらったら、こっちがコーラゼロで、こっちがコーラだと断言した。私も折角なら、と一口ずつ飲み下せば、なるほど、並べて飲み比べないと気付かないが、コーラゼロは普通のコーラよりも甘味が少なく、その代わり炭酸が強い気がする。後味も、何か、明確な成分は不明だが、何かしらの風味が欠けているような気も、しなくはない。

私は、同じ値段なら0キロカロリーを、という天秤でコーラゼロを選択したのだが、両方を味わってみると、私は0キロカロリーという、実際どの程度身体に影響を及ぼすか微妙な満足感のために、コーラの甘みだか何か、ふんわりした微妙な風味を無意識に放棄していたことを知り、0キロカロリーか風味か、こういう微妙な満足感を差別化していくことこそが商品戦略であるという事実を発見して、マクドナルドのソファに埋もれ感服した。

 

私は自分を、物事を冷静に客観視している方だと思い込んでいたのだが、全然、そんなことは無かったのである。その場、その瞬間の状況、雰囲気、印象、そういう微妙な、数値にさえならない曖昧な主観によって、私は物事を認識している。1000円の商品より999円の商品を迷わず手に取り、レジで1円の釣り銭を貰う。それが、その場その瞬間での最善の選択であり、例え限りなく局所的であったとしても、満足感を得たという事実に変わりはないのである。

最善を祈る

先日、ネットで海外製品を購入したのだが、いざ開封してみると、説明書らしき文書が無い。仕方がないから、スマホで商品名を検索したのだが、出てくるのは日本向けのプロモーション記事や簡易的なレビューばかりで、あとは公式ホームページも商品ページも、全て英語表記である。一応、自分が知りたい項目であろう箇所を翻訳アプリを挟みつつ読んではみたのだが、私が必要としている情報は、そもそも明記されていないようであった。

最終手段。私は過去に一度だけ、会社宛てに「お問い合わせメール」を送ったことがある。無論、日本の会社である。ビジネスじゃないのだから、簡単な挨拶と質問事項だけを書いて、あとは「ご返信いただけましたら幸いです」とだけ記せば良いのである。日常的にビジネスメールを送る機会があるから、メール自体に抵抗は無いのだが、問題は、私が英語のメール文を一度も目にしたことがないという点である。大前提として、ヤフーメールは海外まで届くのだろうか。メールに対して、例えば「手紙を瓶に詰めて海に投げる」ような前時代的な印象を持つ自分には、メールサーバーの仕組みは、架空の未来技術と同等の不安がある。

届くかさえ分からないのだから、気楽に投げてしまえばいい。届かなかったら届かなかったで、製品については適当な自己解釈でどうにかやっていけるだろう。外人と英語で会話したことはあっても、文面でのやり取りは初挑戦。そういう楽観さを持って、簡略化した日本語のメール文を翻訳アプリに突っ込み、吐き出された英文を貼り付け、注釈「翻訳アプリを使っている日本人です」とだけ添えて、えいや、と送信ボタンを押した。それからわずか2日後、パソコンのメーラーを開くと、受信ボックスには英語のメールが1通、届いていた。

 

生まれて初めて目にする、ネイティブのメールである。「Hi,Azusa」から始まるそのメールには、メールをくれたことに対する感謝や、質問に対する簡単な説明、「製品を使って楽しんでくれ」という意味合いのセリフが数行に渡って、いや、わずか4行に渡って、想像していた「外人」のフランクさの更に数倍フランクかつ簡単な英語で書かれており、そして、メールの最後は「Best」の一言で締め括られていた。

私が知っている「Best」とは、最善や最良の意味合いだが、この場合、日本のメールにおける「ご活躍をお祈りします」的な社交辞令だろうか。

「英語,手紙,Best」という無教養にも程がある語列で検索をしてみると、手紙での「Best」とは「Best wishes」の略で、つまり「最善を祈る」「幸運を祈る」の意味である。一般的に、気の置けない友人に対して使うようである。日本人的な警戒心で、「英語,Best,皮肉」などという捻くれた語列でも検索してみたが、どうやら本当に、純粋に、突然メールを送ってよこした私に対して、最善を祈ってくれているようであった。

 

不思議な感動がある。もし、外人が初めて日本人に日本語でメールを送ってみて、返信に「今後のご活躍をお祈り申し上げます」という一文を発見しても、果たして同じような感動があるだろうか。これが、外人が感じる「スクランブル交差点でぶつからない日本人」方面の感動ではなかろうか。これまで数々の「何卒よろしくお願い申し上げます」や「ご活躍をお祈り申し上げます」をもらい、送って来た私は、この日「最善を!」と添えられたメールを、生まれて初めて受け取ったのである。

最善を尽くすことが如何に難しい所業であったとしても、「Best」と言い放たれた今日だけは、少なくとも、どうにかなりそうだという予感があった。

入浴剤を買いに

20時を過ぎても、雨は途切れることなく静かに降り続いていた。平日の夜にも関わらず、路上に人の姿はまばらで、アスファルトが雨に濡れて暗黒の染みを作っている。東京が最も冷え込む2月の夜に、さらに降りしきる雨の中を歩くには、部屋着のパーカーにジャンパーコートを羽織っただけの私は、あまりにも装備不足に思われる。しかし、家を出る前に想像していたドラッグストアまでの道のりは、もっと、ずっと近いはずだったのである。

 

入浴剤を切らしていた。本当は昨日の夜、風呂に入った時点で既に気付いてはいたのだが、一晩明けて、今日は朝から雨であったし、とりわけ外出する用事も無く、ダラダラとパソコンに張り付いて、嗚呼そろそろ風呂を入れなければ、と、それでようやく思い出した。買いに行かなければ。

どこにでも売っている、乳白色で甘い香りの、なんでもない入浴剤である。生活に必須、というほどの物じゃないが、初めて使ってみて、得られる唯一の満足感を知ってしまったら最後、もう以前の状態には戻れない。歯磨き粉と同類である。歯磨きなど、極論、水と歯ブラシだけで事足りるだろうに、歯磨き粉のあの爽快感を知ってしまったがために、二度と水洗いなんかには戻れない。歯磨き粉を切らしていたことに気付いて、それが例え夜中だとしても、買いに行かずにいられる人間は、どれだけ居るだろうか。

想定より2倍近くの時間をかけて、深夜営業しているドラッグストアに辿り着いた。店舗のホームページに書いてあった通り、0時まで開いているらしく、店内は煌々とした明かりに満たされている。ぐっしょり濡れたビニール傘を傘立てに突っ込んで、入浴剤コーナーを目指した。商品棚の上から下まで隈なく見て回ったが、悲しいかな、我が家でいつも使っている「ホワイトフローラルの香り」の入浴剤は置かれていない。仕方なく、似たパッケージの「バニラフローラルの香り」の入浴剤ボトルをレジに持ち込んで、会計した。足元は雨を吸って、靴下まで染み込むほど濡れていた。もはや一刻も早く、乳白色の湯に浸かりたかった。入浴剤ひとつだけを抱えて、雨の夜道を足早に帰った。

 

「バニラフローラル」は「ホワイトフローラル」に比べて、数倍甘ったるい香りである。「バニラ」よりも「杏仁豆腐」が正しい。入浴すれば、血糖値が上がりそうなほどである。人間は皮膚から糖を吸収するのだろうか。身体を浸けるだけで体内に影響を及ぼす、という話は聞いたことがない。皮膚からは無理でも、例えば砂糖を皮下注射でもすれば、案外吸収するだろうか。杏仁豆腐を湯に溶かして、皮膚のすぐ内側に注入する様子を想像してみて、以前打った皮下注射の激痛を思い出し、身震いした。

 

甘ったるい香りの乳白色の湯船は、夜雨で冷えきった四肢をじんわり温めた。私が湯に浸かって得られるのは、甘い温かさという満足感、ただ一点だけである。しかし、その一点を得るためならば、例え夜中だろうが雨だろうが、自ら買いに行く手間を惜しまない。これを、贅沢と言わずして何と言えよう。白い湯船から湧き上がる湯気が、私の23年間ずっと空欄だった「趣味」の項目を、ゆっくり満たしていくように感じた。

スマホを忘れてタピオカを破裂させる

少し前まで「私、スマホ見ないんです」は「テレビ見ないんです」と同等のいやらしさがあったが、最近では、もはやスマホを持ち歩いていることが最低限の前提であり、その共通認識の上で諸々のサービスが用意されているから、「スマホを見ない」が個人の自由なのに対して「だから持ち歩いていません」というのは、じゃあどうやって生活しているのだ、という深刻な問題になりかねない。腕時計を着ける習慣が無ければ、現在時刻さえ判別出来ないという極めて人間離れした状態で外出していることになる。

窓の外は夕焼けであるが、今は16時だろうか、とっくに17時過ぎであろうか。時刻も曖昧な夕暮れのフードコートで、私の目の前には今、なみなみ注がれたタピオカミルクティーと、ストローが置かれている。スマホを、家に忘れて来た。

 

タピオカ屋には2種類あって、ストローを差してくれる店と、差してくれない店である。このショッピングモールには2軒のタピオカ屋があり、私はいつも決まった1軒だけを訪れていたのだが、今日、初めてもう1軒のタピオカ屋を訪れた。見慣れないメニュー表で注文を済ませ、「お待たせしました」という声と共に出て来たのは、タピオカドリンクのカップと、ストローであった。私は困惑した。

いつも通っているタピオカ屋では「ストロー差してよろしいですか」と聞かれ、私は必ず「お願いします」と返していたので、つまり、ストローが刺さった状態のタピオカしか受け取った事がないのである。

 

タピオカのカップに勢いよくストローを差し込み、その勢いのままカップ(だか表面に張られたフィルムだか)が破裂してミルクティーが飛び散る、という恐ろしい動画を見たことがある。土曜日の混み合うフードコートの真ん中で、ひとりタピオカを破裂させるなど、相当ショッキングな事態である。出来る限り避けたい。スマホで「タピオカ,ストロー,差し方」を検索しようとしてポケットに手を突っ込み、ここでようやく気が付いた。スマホを持っていないではないか。

「何かあったらスマホで調べれば良いだろう」とたかを括っていた自分に、腹立たしさを覚える。「最低限の前提」であるスマホを持っていない現状、「タピオカを破裂させない」という「最低限」かつ必要な未来を望むことは難しい。「最低限」とは、あくまでも自分の中に持つべきもので、自分以外のものに己の生活が左右される状態は、依存と大差ない。

選択肢はひとつしかない、新鮮なタピオカを捨てることなど出来ない。一か八か、である。ストローの封を切り、カップに張られたフィルム目掛けて、勢いよく突き刺した。

 

ストローは綺麗に差し込まれた。タピオカは破裂しなかった。杏仁ミルクティーは喉越しの良い酸味があった。よく考えたら、仮にスマホでストローの差し方を調べられたとしても、誤って破裂させていた可能性はゼロでは無い。結局のところ、実行するのは私であり、現実の全ては、私の実力次第に他ならない。ガラス張りのフードコートには、オレンジ色の夕陽が差し込んでいた。

不思議と安堵のため息が溢れ、しかし、未だ時刻のはっきりしない夕暮れを、ぼんやりと眺めていた。

寒波

昨晩のテレビ番組は、翌日の異常な寒さについての警告に忙しそうであった。気象予報士は「10年に1度の記録的な寒波が到来する」と予告し、キャスターは視聴者に外出を控えるよう訴え、水道管凍結を防ぐ工夫が繰り返し紹介された。しかし、実際に一夜明けてみれば、東京は温い陽射し溢れる小春日和であり、昨晩、「うっかり大寒波の日に眼科の予約なぞ入れてしまった」と震えて眠りについた私は、カーテンから差し込む輝かしい朝日を前に、拍子抜けしてしまった。

寒波の到着は明日だろうか、せっかく暖かいのだから、と、眼科からの帰り道、自宅までの道のりを少し遠回りしたのである。是非見たい景色があった。その場所は、自宅からそう遠くは無い距離にあるはずであった。あの辺りだろう、と見当をつけ、周辺をぐるぐる歩き回ってみて、数分、段々不安になってきた。自分の居住地区でありながら、私は、この地域についての土地勘が想像以上に無いらしかった。方向は分かるが、そこに繋がる道が分からない。歩き回っているうちに、日が沈み始めた。昼過ぎから出始めた雲は、すっかり空一面を覆い尽くしており、厚い雲と、建ち並ぶ住宅群とに遮られて、私の歩く道は一切日光が差し込まない事態となった。冷たく鋭い風も吹き始めた。朝方には想像も付かなかった暗い寒さの中、住宅街の袋小路のどん詰まりで、私はようやく、その解体工事現場と相対したのである。

 

先月からの約1か月間、自室の窓から、この解体工事を見物していた。私の年末年始は、毎朝エキセントリックな破壊音で叩き起こされる日々であった。建物の内部が取り壊され、骨組みだけになると、これまで遮られていたはずの陽射しが私の部屋に差し込み始めて、あまり開ける機会のなかったカーテンは、いよいよ本当に開けられなくなった。骨組みも解体され、遮蔽物が完全に無くなって、やっと終わりか、と思い覗き込むと、取り壊した柱や壁やらの廃材が大量に山積みにされて、その上をショベルカーが走り回っていて、辟易した。1軒の家を建築するのと、壊すのとでは、建築の方が面倒と思い込んでいたが、壊すのもまた、建築と同等か、それ以上の手間とエネルギーが必要らしい。かつて家があった土地に廃材が積み上がり、作業員たちが血気盛んに片付けている様子を見ていると、解体は意図的であるはずなのに、どうしてか「踏み荒らされ」という言葉が口をついて出た。

大寒波予報の影響か、今日の工事は無いようである。折角なら「解体現場越しの自宅」を見てみたいじゃないか、という思い付きから、この袋小路まで辿り着いたのである。

 

解体現場は、静かであった。廃材はあらかた片付けられ、小型のショベルカーが1台、放置されてあるだけで、あとはただの空き地であった。剥き出しになった土を、寒風が吹き荒らしていた。私は、ここに数十年間暮らしただろう人の生活、その生活のために建築した人と、解体した人とを想像した。その人たち全員の時間とエネルギーとが、この場所に集約されているという事実、しかし、裏手に住む私の生活とは完全に断絶されているという事実を感じ取り、身震いした。

解体現場の向こうには、私の部屋の窓が見えた。外壁も窓枠も初めて目にしたからか、はたまた、大寒波の予兆感じる尖風のせいか。「家1軒分の解体現場」という巨大な空間を隔てて見る自室の窓は、他人の部屋のようであった。

翼を授ける

ゴキブリは飛行することが出来ない、という話を聞かされ、仮にも羽を持つ昆虫ならば飛ばないはずは無いだろうと思い、調べてみたら、つまり、飛べるには飛べるのだが、一般的には這い回っての移動がほとんどであるという。というのも、ゴキブリは、鳥のように地面と平行になって空中を飛び回ることが出来ず、あくまでも、高い位置から低い位置まで飛び降りるために羽を持つ。飛行用では無く、滑空用。飛行機じゃなく、パラグライダーである。ごく稀に、ゴキジェット等によって部屋の隅まで追い詰められ、どうにも逃げ場無く絶体絶命、という窮地に立たされると、最終手段として上向きに飛び出すこともあるらしい。また、気温が高いと活発に飛びやすい、という記述もある。

ゴキブリ駆除業者のサイトを読み漁ってみて判明したのは、ゴキブリの羽は、場所や状況や気温によってコンディションを大きく左右される、案外繊細な装備であるという、いまいち共感し難い真実であった。

 

飛行と歩行とでは圧倒的に飛行が有利である、というのは至極当然だが、現実問題、火事場の馬鹿力で飛行できるゴキブリとは違って、我々は、いかなる状況下でも飛び立つことは出来ない。そもそも冷静になって考えてみると、我々の生活に、本当に飛行が必要かどうかと問われれば、否、ではないだろうか。遊牧民でも無い限り、日常的に数百キロの移動などはしないし、決まったコミュニティの範囲内で、死ぬまでの生活のほとんど全てをまかなえるのだから、地上での歩行移動で充分事足りている。

ふと「空を飛べたらなあ」などと思い立つのは、例えば学校の屋上から街を見下ろしている時などであって、実際に数百キロの移動が必要な局面では、空を飛ぶよりも瞬間移動的能力の方が魅力的に思われる。タケコプターよりも、どこでもドアの方が、実生活に根付く利便性を感じる。

 

人間に必要なのは、飛行じゃなくて、ゴキブリの持つ滑空技術ではなかろうか。仮に、「明日から背中に翼を生やせます」となった暁には、数百キロの飛行用では無く、「階段の5段目から落ちても着地出来る」とか「非常時に2階から飛び降りられる」だとか、そういう些細な、しかし現時点では不可能な「滑空」用の翼を欲する。これまで通り地上を歩行移動しつつ、多少の高低差を不自由無くやり過ごせるようになったら、今よりもう少し、人間生活が楽になりそうである。進化とは、そういうことではなかろうか。

次周もよろしくお願い申し上げます。

凍りついた夜の街を走っていた。あまりにも寒過ぎる中で運動すると、身体のあちこちで、血液がジュワジュワ泡立つ感覚があるのだが、今のところ誰にも共感されない。路上には、見事に人影ひとつ無く、遠くの大通りから時たま、微かにエンジン音やヘッドライトの光が漏れ伝わるだけで、この凍てつく夜に外で活動している生物は、私、ただ1人だけのようであった。例えば今この瞬間に全裸になったとて、通報されないどころか、誰からの悲鳴も注意も説教も無いのである。孤独である。まだ21時である。決して深夜ではないのである。全ての人間が消え去り、地球上に私1人だけが生き残って、初めて迎える夜のようである。マフラーに篭もるわずかな白い息。澄んだ孤独。それが、大晦日であった。

季節型のイベントとは普通、外出して楽しむ祭りだろうに、大晦日だけは、世界中で最も参加人数が多いイベントでありながら、全員が全員、家に篭って各々遊んでいるから、室内は喧騒、外は静寂。実際、祭りの最中、外に出てみれば一目瞭然である。

この街で紅白歌合戦を途中放棄した人間は、私しか居ないようであった。どうしても年越しそばを食べたくなったのだから、仕方がない。コンビニまで走った。蒙古タンメンのカップ麺とカフェオレを買った。レジのお兄さんに、心の中で「良いお年を」と伝えた。店を出てから、「年越しそばなら、どん兵衛が適当だった」と気が付いたが、遅い。帰りはレジ袋を振り回しながら歩いた。南の空高くに、ひどくのっぺりした上弦の月が、右に傾いて浮かんでいた。もう数時間で地平線に沈むだろう。2022年が終わる。

 

よく考えたら、大晦日とは「1年が終わった」という、ただそれだけの区切りであって、ほとんど忘れかけていたが、この「1年」とは元々、地球が太陽の周りを1周した時間である。ある星が、ある星の周りを周り切った。それ以上でも以下でも無い。その偶然の自然現象を基準に、勝手に明確な区切りを感じ取って、学期の概念、季節のイベント、新年の尊さ、諸々の文化を100年単位で実生活に根付かせ、結果、星の公転期間でしかなかった「1年」の価値を、「今年」という唯一無二まで高めた人間の文明には、凄まじいエネルギーを感じる。

 

去年の年末はどんな事を考えていたのか、と、2021年12月のブログを開いてみたら、ちゃんと31日にも更新しており、しかも最後の方には「人類の誕生から約700万年…」などと書いてあって、吹き出してしまった。どうやら私は、年末になると、宇宙だとか文明だとか、非日常的壮大な物事に想いを馳せる習慣があるらしい。ちなみに2020年12月28日には、時間について論じていた。人は数年では変わらない。

来年の年末は、どうしているだろうか。変わらず、壮大な物事についてぼんやり想うくらいの無邪気さは持っていてほしい。実際のところは、地球が太陽の周りを1周してくれない限り、分からない。私の2023年は「来年」ではなく、地球の公転1周分である。

2022年、いや、今回の公転1周分も、大変お世話になりました。次回1周分も、何卒よろしくお願い申し上げます。こんな風に書かれた年賀状には、誰も返してくれないだろうな。

若気の至り

私はなんだか、歳の割に随分子供っぽい髪型をしている。自分に近しい雰囲気をインスタグラムで探そうとして、行き着いたのは「ボブ」とか「マッシュ」だとか呼ばれる髪型だったが、実際、鏡を挟んで対面した私は、身も蓋もない言い方をすれば、「キノコ」「こけし」が的確である。「キノコ」が具体的にどういう進化、あるいは修正をすれば「マッシュ」になり得るのか、美容師国家資格を持たない私には皆目検討も付かないが、一応、「マッシュ」と書かれた写真を何枚か保存して、それを横目で確認しながら、文房具鋏の刃を後ろ髪に差し込んだ。

ちょうど1年になるだろうか、私はずっと、文房具鋏1本で、自力で散髪し続けている。私が、会う人会う人に高校生、場合によっては中学生とすら思われる理由の半分は、ここにあるのではないかと考えている。私は来年、歳女である。事実、成人女性である。

若々しい、は褒め言葉であるが、子供っぽい、とは、確信犯である。具体的に、「若々しいですね」と言う本人は、自分と相手が同世代であるという認識の上で、「しかし、あなたは若々しく、羨ましい」だが、「子供っぽい」とは、例え相手と同世代だったとて、自分は相手よりも落ち着いている、冷静である、余裕がある、賢い、等々、含みあっての「子供っぽい」である。私は、出来れば「若々しい若者」でありたい。

 

若者の良いところ、ひとつ、自分の全部で体当たりする。自分という存在、プライド、肉体、その全部を、一瞬の感激に投げ出せてしまう乱暴さ、大胆さ、愚かさ、純粋さ。これは子供に無くて、若者だけが持つ才能である。子供はまだ、保護者や先生という絶対的な神を持っている。神から逃亡し、まるで自分の全てを自分1人が握っていると、心から信じ込めるのが、若者である。自身について自覚的で無い者は、若者の間ですら「子供っぽい」と揶揄われるだろう。私は若者の友人が少ないから、実際のところは知らないけれど。

そういう若者でありたいものである。若者の「若々しい」とは、すなわち無敵である。少なくとも20代前半のうちは、そういう勘違いが許されると思っている。いや、許す。自分の許す許さないを言い切ってしまえるのも、若々しい若者だろう。

 

つまりは、「子供っぽい」から脱却したい。私は、若々しい若者になるのだ。渋谷の一等地に立つヘアサロンに予約した。注文は勿論、「無敵の若者」である。

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