翼を授ける

ゴキブリは飛行することが出来ない、という話を聞かされ、仮にも羽を持つ昆虫ならば飛ばないはずは無いだろうと思い、調べてみたら、つまり、飛べるには飛べるのだが、一般的には這い回っての移動がほとんどであるという。というのも、ゴキブリは、鳥のように地面と平行になって空中を飛び回ることが出来ず、あくまでも、高い位置から低い位置まで飛び降りるために羽を持つ。飛行用では無く、滑空用。飛行機じゃなく、パラグライダーである。ごく稀に、ゴキジェット等によって部屋の隅まで追い詰められ、どうにも逃げ場無く絶体絶命、という窮地に立たされると、最終手段として上向きに飛び出すこともあるらしい。また、気温が高いと活発に飛びやすい、という記述もある。

ゴキブリ駆除業者のサイトを読み漁ってみて判明したのは、ゴキブリの羽は、場所や状況や気温によってコンディションを大きく左右される、案外繊細な装備であるという、いまいち共感し難い真実であった。

 

飛行と歩行とでは圧倒的に飛行が有利である、というのは至極当然だが、現実問題、火事場の馬鹿力で飛行できるゴキブリとは違って、我々は、いかなる状況下でも飛び立つことは出来ない。そもそも冷静になって考えてみると、我々の生活に、本当に飛行が必要かどうかと問われれば、否、ではないだろうか。遊牧民でも無い限り、日常的に数百キロの移動などはしないし、決まったコミュニティの範囲内で、死ぬまでの生活のほとんど全てをまかなえるのだから、地上での歩行移動で充分事足りている。

ふと「空を飛べたらなあ」などと思い立つのは、例えば学校の屋上から街を見下ろしている時などであって、実際に数百キロの移動が必要な局面では、空を飛ぶよりも瞬間移動的能力の方が魅力的に思われる。タケコプターよりも、どこでもドアの方が、実生活に根付く利便性を感じる。

 

人間に必要なのは、飛行じゃなくて、ゴキブリの持つ滑空技術ではなかろうか。仮に、「明日から背中に翼を生やせます」となった暁には、数百キロの飛行用では無く、「階段の5段目から落ちても着地出来る」とか「非常時に2階から飛び降りられる」だとか、そういう些細な、しかし現時点では不可能な「滑空」用の翼を欲する。これまで通り地上を歩行移動しつつ、多少の高低差を不自由無くやり過ごせるようになったら、今よりもう少し、人間生活が楽になりそうである。進化とは、そういうことではなかろうか。

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