次周もよろしくお願い申し上げます。

凍りついた夜の街を走っていた。あまりにも寒過ぎる中で運動すると、身体のあちこちで、血液がジュワジュワ泡立つ感覚があるのだが、今のところ誰にも共感されない。路上には、見事に人影ひとつ無く、遠くの大通りから時たま、微かにエンジン音やヘッドライトの光が漏れ伝わるだけで、この凍てつく夜に外で活動している生物は、私、ただ1人だけのようであった。例えば今この瞬間に全裸になったとて、通報されないどころか、誰からの悲鳴も注意も説教も無いのである。孤独である。まだ21時である。決して深夜ではないのである。全ての人間が消え去り、地球上に私1人だけが生き残って、初めて迎える夜のようである。マフラーに篭もるわずかな白い息。澄んだ孤独。それが、大晦日であった。

季節型のイベントとは普通、外出して楽しむ祭りだろうに、大晦日だけは、世界中で最も参加人数が多いイベントでありながら、全員が全員、家に篭って各々遊んでいるから、室内は喧騒、外は静寂。実際、祭りの最中、外に出てみれば一目瞭然である。

この街で紅白歌合戦を途中放棄した人間は、私しか居ないようであった。どうしても年越しそばを食べたくなったのだから、仕方がない。コンビニまで走った。蒙古タンメンのカップ麺とカフェオレを買った。レジのお兄さんに、心の中で「良いお年を」と伝えた。店を出てから、「年越しそばなら、どん兵衛が適当だった」と気が付いたが、遅い。帰りはレジ袋を振り回しながら歩いた。南の空高くに、ひどくのっぺりした上弦の月が、右に傾いて浮かんでいた。もう数時間で地平線に沈むだろう。2022年が終わる。

 

よく考えたら、大晦日とは「1年が終わった」という、ただそれだけの区切りであって、ほとんど忘れかけていたが、この「1年」とは元々、地球が太陽の周りを1周した時間である。ある星が、ある星の周りを周り切った。それ以上でも以下でも無い。その偶然の自然現象を基準に、勝手に明確な区切りを感じ取って、学期の概念、季節のイベント、新年の尊さ、諸々の文化を100年単位で実生活に根付かせ、結果、星の公転期間でしかなかった「1年」の価値を、「今年」という唯一無二まで高めた人間の文明には、凄まじいエネルギーを感じる。

 

去年の年末はどんな事を考えていたのか、と、2021年12月のブログを開いてみたら、ちゃんと31日にも更新しており、しかも最後の方には「人類の誕生から約700万年…」などと書いてあって、吹き出してしまった。どうやら私は、年末になると、宇宙だとか文明だとか、非日常的壮大な物事に想いを馳せる習慣があるらしい。ちなみに2020年12月28日には、時間について論じていた。人は数年では変わらない。

来年の年末は、どうしているだろうか。変わらず、壮大な物事についてぼんやり想うくらいの無邪気さは持っていてほしい。実際のところは、地球が太陽の周りを1周してくれない限り、分からない。私の2023年は「来年」ではなく、地球の公転1周分である。

2022年、いや、今回の公転1周分も、大変お世話になりました。次回1周分も、何卒よろしくお願い申し上げます。こんな風に書かれた年賀状には、誰も返してくれないだろうな。