往来でひとり佇む

3つ歳下の、つまり昨年20歳になったばかりの友人と、どういう話の流れだったか、とにかく恋愛についての話題になって、普段より同世代との交流が少ない私はここぞとばかりに、「20代前半の若者は、どこでデートするのか」と尋ねると、彼女は呆気らかんと「水族館とか動物園とかですね」と言う。私は、私以外の若者はきっと、インスタを頼りに渋谷のお洒落なカフェへ出掛けたり、ナイトプールでクラフトビールを開けたり、揃いのジャージでサウナへ通ったり、言わば邦ロックバンドのMVのような、お洒落なロマンスを嗜んでいるのだろうと、皮肉に近い妄想をしていたために、その余りにも素朴な、可憐な交際の現実に驚愕してしまった。同世代の若者と、もっと話をしなければ、とも思った。さらに興味的なのが、彼女は今の恋人と、マッチングアプリで出会ったという点である。

限りなく冷静な場で出会いながら純粋にデートを楽しむ、若者の慎ましい交際に痛く感銘を受けてしまって、彼女と話したその日の夜に、私は躊躇いなくマッチングアプリをインストールした。要約すると、私は、極めて刹那的なメランコリイと好奇心によって、マッチングアプリに手を出したのである。そして、結論から言ってしまえば、私はその後、わずか1ヶ月足らずで退会ボタンを押すことになる。

 

マッチングアプリに入会すると、まず最初に、自己紹介文を登録する。自分を文章化することに抵抗は無いが、問題は、自分について余りにも詳細に説明し過ぎると、ネット上で特定されかねない、ということである。詳しい特技、趣味、仕事内容を書き連ねると、確実に「私」が浮き彫りになってしまう。私を構成する要素から、個性に直結しない、当たり障りのない事柄だけを拾い集めた時、どうやら私は「映画と読書を好むインドアな23歳」という、世界に数十万人いるだろう平々凡々な女子、ということになった。

実際、事実なのだから認めざるを得ないのだが、ペン立てのペン1本1本の差し方まで拘るほどに過剰な私の自意識は、この時点で若干の抵抗を覚え始めていた。そして、この平均化された私の自己紹介文が、次の困難を招くことになる。

 

自己紹介の一言目に「映画」と書いてしまったがために、マッチング相手から送られてくる一言目が「好きな映画は何ですか」「普段はどんな映画を観られますか」に決まってしまった。聞かれたら、答えるしかない。そして、質問に答えたら、当たり前の流れで「How about you」を返す必要があるだろう。結果、私はマッチングしたほとんど全員と「おすすめの映画」についてメールを交わし、私のメール受信箱には、古今東西あらゆる年代のおすすめ映画情報が集まる事態となり、終いには、私がおすすめした映画の感想を丁寧にまとめた長文まで送られて来てしまって、こうなってくると、人とマッチングというより、映画とマッチングしている感じである。必然的に、こちらも紹介された映画を観て感想を送らなければならなくなり、しかし、映画1本につき1時間は必要であるし、私は、どんなに良いと評価されたものでも、興味が沸かない限り鑑賞出来ない性格なので、ここまで来て、ようやく事の本末転倒さに気付いた。私は、マッチングアプリをインストールした時と同じくらいのスピードで、躊躇いなく、退会ボタンを押し込んだ。

 

マッチングアプリが悪いわけではない。完全に私の敗北である。余計な自意識を捨て去り、社交辞令を受け流すという、ある種の鈍感さが、マッチングアプリには必要である。いや、恐らくはリアルでの出会いにおいても、必要なのだと思われる。恋愛に限らず、人付き合いをする上で必要な気楽さ、適当さが、私には未だ乏しいように思われた。私が水族館でデートするのは、いつか未来の話である。

最後に、まだまだ少ないだろうマッチングアプリ経験者として、ひとつ、「自己紹介文の最初に『映画』と書くべからず」という淋しい教訓を、ここに記しておく。

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