希釈された生活

全く陰惨な話である。私は元来、自意識過剰な人間だから、身の回りの問題を無闇やたら大袈裟に考えて、いちいち悲劇的になりがちなのだけど、だからこそなるべく、人前では泣かないようにと誰より努めているつもりで、しかし、今回ばかりは駄目だった。総合病院のロビーで、ひとしきり、めそめそ泣いた。まるで悲劇のヒロイン気取りだが、悲しいかな、私には悲劇、つまり病気は存在せず、それだけなら喜ばしい話なのだが、実際には、今年に入ってから計2ヶ月弱もの間続いた発熱について、病名はおろか、身体中くまなく調べても「健康である」という一点のみが証明された、というだけで、私の、2ヶ月間の不調、苦労、飛ばした約束の数々、その全てが「風邪ですね」という医者の一言に掌握され、放棄されたという事実に、私は耐えることが出来なかった。待合ロビーのソファに座って、向かいのモニターに自分の会計番号が点滅しているのを凝視しながら、私は奥歯を食いしばってボロボロ泣いていた。ロビーには、車椅子の人も、点滴の人もいて、大病、難病、もしかしたら死に近き人だって居るやもしれぬのに、その中で私は、唯一の健康体であるというのに、公衆の面前で、恥ずかしげもなくボロボロ泣いて、こんなに情けない話があるか。

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1月のインフルエンザ、2月の高熱と救急車、そして4月の発熱。今年が始まってまだ4ヶ月しか経たぬと言うのに、何の不調もなく活動出来たのが3月のわずか30日間だけ、という事実を目の当たりにして、年始よりうっすらと脳裏に浮かんでいた「虚弱」の二文字は、いよいよハッキリした輪郭を縁取り始めている。

文学者がメランコリイだけで死ぬのは例が少なく、だいたいは虚弱から追い詰められる、という説があって、私は文学者じゃないから高尚なメランコリイなどは持ち合わせていないが、一方で、虚弱というのはある種、マイナス方向へ常に進もうとするアクセルのような、言葉を選ばずに言えば、常に死に向かって引っ張り続ける操り糸のような、強力な働きがあるように感じる。その力に抗うように生活しなきゃならないわけで、普通なら軽々3歩進めるところを、力いっぱい踏み込んで、ようやっと1歩進んだりする。全部がその調子だから、少しの仕事でも疲れ切ってしまって、結局、何もかもをやり残したまま1日が終わったりもする。虚弱というマイナスの力によって、日常生活が間延びし、希釈される感覚がある。

私は、ここのところ、自分がひどく繊細な人間になったような気がしてならない。病院の帰りに、車の助手席から見えた沿道の桜に感激したり、カーテンの隙間をチラつく満月に手を添えてみたり、久しぶりの外出で人出の多さに圧倒されたり、それらが虚弱によって希釈された生活を律儀に指でなぞっているからなのか、はたまた悲劇的に過剰な自意識によるものなのかは、判別しかねる。元より繊細だったような気もするし、あるいは、この4か月の間に全く別の人間に生まれ変わってしまったような気もする。

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