夜間移動

19時半に最寄駅で友人と合流し、新宿に着いたのは21時より少し前であった。帰宅ラッシュは過ぎているものの、下り電車はほとんど満員であり、混み合う向かいのホームを眺めながら、私たちはスッカラカンの上り電車で並んで座り、今日明日のスケジュールをヒソヒソ話し合っているうちに、あっという間に新宿まで来てしまった。南口改札を出ると、大通りの向こうにバスタ新宿の四角い建物が聳え立っている。この旅の、最初の目的地である。「トイレはあるだろうか」「あるだろうね」などと小手先の不安を呟き合いながら、私たちはエスカレーターで4階を目指した。東京発の高速バスが全部集まる巨大ターミナルビルである。4階は乗車専用フロアであり、中央には大きな受付カウンターが構え、そのほか見渡す限りにソファベンチが並べられており、大きな荷物を抱えた旅客たちで賑わっていた。さながら空港の待合ロビーのようである。勿論トイレも、コンビニもあった。私は持参し忘れた歯ブラシを、友人はお菓子を購入した。最初のサービスエリアで一緒に歯磨きをしようと約束した。

日常において、夜間の移動といえば近所の散歩くらいだから、バスでの移動は新鮮である。乗り物酔いをする、という理由で、そもそもバスを避けていたから、今回も下手をしたら目的地まで辿り着けないのではと不安だったのだが、昼間のバスとは違って、夜間のバスには妙な安定感があり、夜の中を滑って進んでいくような、暗く冷たい深海をすっと泳いで行くような心地良さ、涼やかさがあって、不思議と一度も酔わなかった。

夜行バスの窓側の座席に沈み込み、車窓に流れる夜景を眺めながらイヤホンで邦ロック聴く、というロマンを楽しみにしていたのだが、友人に頼んで譲ってもらった窓側の席はカーテンが締め切られており、外を見たいなら手でカーテンを捲り上げ、隙間から覗き込むしかなかった。加えて、高速道路に乗ってしまうと、車線のすぐ横は高い塀であり、ただ真っ黒な壁がひたすら続いていくだけで、見栄えがしない。稀に、塀が途切れて、遠くの山間に民家の明かりがポツポツと散らついたが、あとはずっと、トンネルの中を走っているのと大差なかった。懸命にカーテンを捲り上げて景色を探すのは私1人だけのようで、私がカーテンを下ろすと、車内はいよいよ真っ暗闇になり、走っているのか停まっているのかすら判別出来ないほどだった。しかし、例えばカーテンのわずかな隙間から高速道路の照明の灯りがコマ送りのようにチラチラと連続的に車内を照らし初め、そのテンポが、イヤホンで聴いている曲とちょうど重なっているのを発見した時、息を呑むような感動があった。散歩中、歩くテンポと重なる曲は貴重だが、夜行バスの車内に差し込むチラチラは、大抵の曲とマッチした。

往路唯一の休憩所である足柄サービスエリアは、要塞のような灰色の建物で、中に入ると無数のトイレの個室が並んでおり、文字通り排泄するためだけの施設といった感じで、圧巻である。15分足らずでトイレも歯磨きも済ませて、またバスに乗り込み、暗闇でだらだらとスマホを弄っていたが、0時を過ぎると、持ち込んだおやつを食べるのも忘れて、すっかり眠りこけてしまった。

午前6時半。目覚めると、車内はうっすら明るかった。何気なくカーテンを捲ると、そこには、どこまでも広がる農地、ぽつりぽつりと佇む民家、その向こうに山、そして、はるか遠くの地平線の上に、朱色に輝く朝日があった。普段、昼近くに起きる生活の、さらには都会に暮らす自分では絶対に見られない朝日。きっかり、まん丸。エネルギッシュに光る満月のような。自分は、これまでしっかり日の出を見たことが無かったことを思い出した。今までに見た、どの太陽よりも美しかった。月が満月、三日月、半月と無数に呼び分けられるように、太陽もまた、朝日、夕日では、全然別個のものであると分かった。今すぐにでも立ち上がって、みなさん、素晴らしい朝日があります、カーテンを開けなさい、と叫びたい気分だった。この朝日だけで、この旅行に来た意味があったとさえ思った。

8時過ぎに、バスは小さなバスセンターに到着した。焦茶色の木造の小さな待合室で休憩し、ここから更に送迎バスに乗り換えるのである。木のベンチに座り、友人が買ってくれた紙パックジュースを啜りながら、地元の学生たちが通学バスに乗り込む背中を見送った。夜が明けたばかりの山間は流石の冷え込みようで、私はバスタ新宿を出発してからずっと仕舞いっぱなしだったジャンパーを引っ張り出し、実に10時間ぶりに袖を通した。

こうして、中学の修学旅行をサボったがために、未だ京都も大阪も奈良も観光したことがなく、23年間全くの未踏であった関西地方、三重県志摩半島に、私は上陸したのである。

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