瞑想コインランドリー

今日の東京は最高気温33度と今年一番の暑さである。太陽は頭上高く、しっかりと夏の湿度を持った重い空気は蒸しあがるような熱気を帯びている。襟足から、背中から、膝裏から、汗が滴り伝うのを感じながら、私は2日分の洗濯物を山盛り積んだカゴを両手で抱えて、この炎天下をひとり、えっちらおっちら歩いていた。

今月から始まった同棲生活において、私は完全に主婦の仕事を遂行していた。私を知っている人の中では、私が主婦、というだけで大笑いする人もいるだろうが、元より得意な掃除はもちろん、毎日の食事、釜で飯を炊き、おかずを炒め、味噌汁を作り、ほか、食器はすぐ洗い、おつかいへ行き、風呂を入れ、トイレを磨く、知りうる限りの家事は、あらかたやっているつもりである。誰もが(私自身でさえ)家事はおろか、寝起きすら碌にできやしないと思っていたのが、実際、この成長ぶりである。特に私の不摂生をよく知る主治医は、「これこそ愛の力だね」と深く頷き、感心していた。確かに、完全なる一人暮らしであったら、ここまでちゃんとしていなかっただろう。飲み終わったコップを洗うのが面倒でそのまま不燃ごみの袋に突っ込んだりしていた私を主婦たらしめたのは、隣の布団で大の字で寝ている彼、この人である。

 

事情あって、新居には未だ洗濯機が無いために、洗濯をするには最寄りのコインランドリーまで通う必要がある。看板に大きく「コインランドリー」とだけ書かれたマンションの1階、自動ドアが開くと、途端に冷えた空気が身体を撫ぜ、そこには、洗濯機と乾燥機が壁一面に埋め込まれた20帖ほどの空間が広がっている。今日の店内は、誰もいない。乾燥機が1台回っている。私は一直線に12キロ用洗濯機へ向かい、抱えていたカゴを下ろして、衣類を1枚ずつ広げながらドラムの中に放り込んでいった。扉を閉め、百円玉を入れると、洗濯機はすぐにゴウンゴウンと轟音を響かせ回り始める。空になったカゴをベンチに置いて、その隣に腰を下ろし、ポケットから文庫本を取り出して、開いた。ここまで、すっかり慣れた手つきである。もっと慣れた人は、洗濯している間に買い物なんかを済ませるのだろうが、私は何となく、稼働する機械に囲まれた、この無機質な空間が好きなので、洗濯と乾燥が終わるまでの1時間、いつもこのベンチで読書している。前回から、夏目漱石を読み始めた。

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病院やバスや電車の待ち合いと違って、コインランドリーは洗濯機と私の間に他の誰も干渉していないから、気楽なものである。順番待ちやら交通遅延やらに左右されることがない、洗濯機は、設定された時間ちょうどに必ず私を呼ぶ。それが分かっているから、私も安心しきってしまって、足なんか組んじゃって、のんびり本を読んでいる。30分、ページ数にして60ページ前後、洗濯が終わったので、ずぶ濡れの衣類を取り出して、今度は乾燥機へ放り込んでスタートボタンを押す。

乾燥機の轟音と回転を視界の端に感じながら、私は再びベンチに腰を下ろし、文庫本のページをめくった。店内には薄らFM放送がかけられていて、今は女性のラジオパーソナリティが「虐待された動物を保護する活動」について悲痛な声で語っている。女性の必死の訴えと、乾燥機の轟音と、読んでいる夏目漱石とが脳内で混ざりあい、段々と夢を見ているような、チグハグな感覚に陥っていく。

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こういう変な瞑想状態を、学生時代にはよく経験していたはずなのだが、最近めっきり忘れていた。よほど時間に余裕がないと陥れないのである。生活の中で、あらゆる音や会話を聴き流しながら安心して思想にふける贅沢を、大人は皆、思い出せなくなっている。己の思想や夢や判断が、こういうゴチャゴチャした瞑想の時間から生まれてきたことを、忘れていやしないだろうか。

 

コインランドリーは、良い。洗濯が終わるまでの間、完全なる余白の時間を設けてくれる。ここには、私と洗濯機と乾燥機だけが存在する。存分に瞑想するがいい。この場所で思想に耽る贅沢を、瞑想コインランドリーとでも呼ぼうか。

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