6月9日(映えと飼育)

映え

先日、友人と "YouTuberのインスタグラマー化" について話していたのだけど、観れば観るほど、ここ1年のYouTube動画、特に「Vlog」は、非日常的にお洒落で、至極映えている。

 

インスタでは画像1枚の完成度だけで良かったものが、動画となれば最低でも5分の尺・カメラワーク・BGM・テロップと、手間のかかり具合も機材の値段も、数十倍に跳ね上がる。

 

YouTube動画が自然とインスタ的感性に触発されたのか、はたまた、これまでインスタ的感性で活動してきた人達が、こぞって動画を作り始めたのか。

前者ならただの流行りだが、後者だったら凄いことである。

流行の波を乗りこなし、新たな波まで作りかねない一般人が、プロクリエイター並みの技術とセンスを習得していく。

今後、センスの良い只の一般人が、個人的に映画を撮ったり、全国誌を発行しだしたりするかも知れない。

 

画像的なセンスにしか使われてこなかった「映え」が、どんどん進化を遂げている。

 

 

飼育

ペットを飼っている人の前で、例えば「エサをやる」などという表現は御法度で、それは「飼っている」動物に対して、支配や調教を目的としているのではなく、「家族として一緒に暮らしているから」らしい。

個体の大小関わらず、全員が全員 "自分達人間と同じ命" として接している訳だけれど、それだけ聞くと、とても良い思想に思えるけれども、しかし、どうにも恐怖する。

 

猫は、自分(人間)と同じ価値のある存在で、ご飯やトイレはこちらが用意するにしても、家族として一緒に暮らす間柄。

では、猫と人間とが同じ立場で暮らしているのなら、その「猫の立場」が、人間にすり替わる日が来るのではないか。

 

彼と私は同じ価値のある存在で、ご飯やトイレはこちらが用意するにしても、家族として一緒に暮らしています。

病気や事故が怖いから、通院の日くらいしか外には出せないし、彼は生まれてから一度も同じ人種に会ったことは無いけれど、彼は私の家族で、大切な存在です。

 

全然、穏やかじゃない。

ペットを飼っている人は、同じように人間をも飼う可能性があると思い込んでいるので、犬猫亀鳥等、何を飼っているにしても、"飼育する側の人間" であるという確固たる事実に、どうしても恐れ慄いてしまう。

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