「10年前何してた?」と言う質問にやっと答えられそうな年齢になった。最低でも20歳を超えないと、例えば18歳で10年前といえば8歳である。一桁の年頃など、ほとんどの人間が大方同じような生活をしていただろうし、現在である18歳も、これまた全員同じような日々を過ごしているので、面白味がない。
22歳の10年前は12歳。「8歳も12歳もたいして変わらないじゃないか」と思うかもしれないが、小学校2年生と6年生では自己一貫性の解像度がまるで違う。
12歳は、中学受験勉強がいよいよ佳境に入る年である。
最初に入った塾が倒産したり、集団授業の塾で置いてけぼりになったりと、地元に点在する塾という塾を転々とした挙げ句、6年生の夏休み前からは個別指導の塾に入った。1人1つずつ、机と椅子だけが収まるスペースを与えられ、先生が分からないところだけを教えてくれるシステムである。
算数が苦手だったので、算数のコマをたくさん取っていた。
毎回私を担当していた算数の先生は恐らく大学生か大学院生で、夏期講習期間などは毎日顔を合わせるから、12歳の1年間で家族よりも一緒に過ごした人物である。
彼はよく「昨日は休みだったから一日中ナンチャラ式を解いていた」とか「キットカット1枚で1日過ごせると信じてる自分がいる」だとか、嘘だか本当だかいまいち分からないようなことを駄弁っていた。
先生が根っからの数学オタクであるのは本当で、「数式を解くのにいちいちノートなんて使わなくて良い」と、いつもカレンダーやチラシの裏に展開した式を書き込んでいた。それが何となくかっこよくて、真似して裏の白いチラシを同じ大きさに折り、算数のテキストに挟んで持ち歩いてみたりもした。
12歳から見れば、数学だけを極めている20代は一点突破のカリスマであり、憧れの存在であった。今の私の理屈的な思考回路や「延々と方程式を解きたい」みたいな欲求は先生に影響されたと言っても過言ではない。勉強以外は何もしていなかったように思えて、実は自己構築に影響を与えるくらい重要な人物に出会っていたのである。思い出せて、良かった。
そう思ったが、よく考えてみれば先生は当時大学生であり、多目に見積もっても23、4歳ということになる。今の私と、ほとんど同い年ではないか。
今、自分が12歳の子どもに何かを教える立場になったとして、それは「その子の人間性に少なからず影響を与える存在になる」ということである。「そんな立場をこなすとは、先生はやっぱり凄いなあ」と同時に、「同じ年齢なんだから自分にも出来るか」と問われれば、全くもって自信が無い。
10年前、先生に出会っていなかったら、今どんな文章を書いていただろうか。10年は、とても長い。