方位磁針を回す

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

「良質」の対義語は「悪質」と決まっているが、単純に質の良さを表す良質と違って、悪質には、あたかもこちらに対して攻撃性があるかのように聴こえがちである。良質な水、と言われれば、富士の雪解けか何か、透き通った天然水を想像するが、逆に、悪質な水、と言われると、口に含んだ瞬間に嘔吐を催すような劇物かに思われる。実際のところは雑居ビルの貯水槽に沈殿する水程度であったとしても、ひとまとめに悪質、と断言してしまったばかりに、あたかも健康被害に直結するような、意に反した攻撃性を有してしまう。だからと言って、「悪質じゃないのなら、やっぱり良質な水なんですか」と迫られれば、屋上へ駆け上がり、貯水槽の蓋を開けてみると、あるのは薄暗いタンクに澱む底の見えない水道水であり、やはりどう考えても、良質とは言えない代物なのである。

 

私は睡眠の質が悪いので、「良質な睡眠を取れていますか」という質問には即座に否定しているのだが、しかし「悪質な睡眠ですか」と聞かれたら、それも否定せざるを得ない。寝付きに1時間を要し、無事就寝しても3時間後には必ず目覚め、その後は10時間近く眠り続ける。毎日きっかり7時間睡眠する人と比較すれば一目瞭然の質の悪さだが、軽い睡眠導入剤を飲めば解決する程度であり、なんと言っても、睡眠は私に直接害を与えていない。私は比較的健康体であり、睡眠のせいで発生している障害は無いと言っても良い。もちろん、睡眠による利益の実感も無いから、故に「良質」とは断言しかねるが、「悪質」ではやはり大袈裟過ぎるので、強いて言えば「普通、まあまあ」、結局は、その辺りの曖昧な表現に落ち着くことになる。

例えば「合格、不合格」のように、数値的に明確な判断基準があれば、簡単に評価を二極化出来るだろうが、良質と悪質、善と悪、美味しいと不味い、個人それぞれの感覚に基づいた物事を、キッパリ分類するのは難しい。大抵の物事には判断基準など存在せず、何とも言い切れない、曖昧な評価で精一杯なことの方が多いようである。昨今話題のジブリ映画も、私は「面白かった」とは断言出来ず、しかし、決して「面白くなかった」わけでは無く、そのあやふやな感想を説明するために、未鑑賞の母相手に20分近く演説したのだが、全部を聴き終えた母が、「それで結局、良かったの、悪かったの」と質問しても、私は首を傾げて唸るより他になかった。

 

我々の会話の大抵のテーマは、キッパリ断言出来ない曖昧な感情についてである。良かった、悪かった、嬉しかった、悲しかった、断言してしまえばそれで終わりだが、言う方も聴く方も、それでは気が済まないから、経緯を詳細に説明するわけであり、手を替え品を替え、何とか自分の感情に近いものを相手に伝えようと努力する。堂々と一言で言い切ってしまえるのなら簡単だろうが、特段良くも悪くも無い平坦な生活を送る私は、その曖昧な感情について考えるために、恐らく、こうして長々執筆している。全てについて的確に表現できる日本語があったとしたら、また、それを逐一言い当てて満足できる程の語彙力があったとしたら、私は何かについて文章を書こうとすら思わなかったのかも知れない。

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