「ゴースト・シャーク(2013)」を観た【サメ映画レビュー】

白状すると、今回新たに観たのは「ゴースト・シャーク」じゃないのである。先日レビューした「MEG ザ・モンスター」の続編、「MEG ザ・モンスターズ2」を、わざわざ映画館まで足を運んで、観た。無論、レビューをしたためるつもりで、至極真面目に鑑賞した。売店で買ったアイスコーヒーを握り締め、数人の客しかいないレイトショーの座席に沈み込んで、はち切れそうな期待を胸に、画面を凝視していた、が、何故これについてレビューしないのか。忌憚なく言えば、つまり、あまり面白くなかったのである。

 

私はサメ映画が好きなので、イコール、サメが好きなのですが、これは例えば「ゾンビが好きだからゾンビ映画が好き」「アクションが好きだからアクション映画が好き」という感覚と同じで、ゾンビ、アクション、サメ、あくまで主役は彼らであり、その他、ストーリー展開や人間関係の成り行きは、主役を更に魅力的に演出するための布石に過ぎない。

私は、あらゆる技と力によって神輿の上に担がれたアイドル俳優の如く、圧倒的に光り輝くサメが観たいのである。「MEG ザ・モンスター」は正しく、サメが際限なく輝き続ける素晴らしいサメ映画だったので、続編も期待満々で映画館へ飛び込んだわけなのだが、実際「MEG ザ・モンスターズ2」を観た感想としては、「これはサメ映画じゃなく、SFヒューマンドラマである」。

全編を通して、人間同士のいざこざが多過ぎるのである。研究所とスポンサーの関係、国家の思惑、一攫千金を狙う敵組織。確かに、強大なサメと互角に戦える技術を獲得するまでには大勢の人間と多額の金が必要であり、その過程で対立や争いが生まれるのは当たり前、結果、それぞれの人間の葛藤についてフォーカスされるのは、映画としてごく自然な流れである。しかし、サメ映画として観るならば、やはり、サメ対人間、その純粋な構造を望まずにはいられない。私がレイトショーの座席に沈み込むに至るまでのモチベーションの、およそ9割は「純粋なサメ映画を観るぞ」であった。

純粋なる、良いサメ映画が観たい。私が知る限り最も「純粋な」サメ映画を観て、この不完全燃焼な欲求に片をつけようと思った。選ばれたのが、「ゴースト・シャーク」である。初めて観たのは、確か2年前だった。

 

「ゴースト・シャーク」、人間によって無惨に殺されたサメが、実体の無い「幽霊サメ」となって人を喰ってまわる、サメの復讐劇の話である。実体が無いために、物理攻撃が通用しない。さらには幽霊という性質上、水がある場所なら例えどんな場所でも出現できる、という特殊能力を持っている。サメの出現は、パーティー会場のプールから始まり、排水管の亀裂、水の入ったバケツ、浴槽、最終的には人の体内から、厳密には、当人が飲み込んだコップ1杯分の水から出現し、唐竹割りの如く人体を真っ二つに引きちぎったりもする。あらゆる映画に登場するモンスターたちの中でも、相当強い部類だと思われる。

 

サメ映画の主役はサメであり、人間はあくまでも、サメに振り回される哀れなエキストラに過ぎない。その感覚が、一般的な映画ファンと呼ばれる人たちと、サメ映画ファンとの違いである。我々サメ映画ファンは、例えエキストラが最悪だろうと、サメがしっかり輝いてさえいれば、それに数人の選ばれし人間が対抗してさえいれば、「最高だ」と断言出来るのである。

もうしばらくは、無双するサメ、その場凌ぎであたふたする人間たち、という構図の、純粋なるサメ映画に浸っていたい。まだ出会っていない、強烈な輝きを放つサメが、きっと何処かに潜んでいるはずである。

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