知らない街を歩く

最寄駅から地下鉄を乗り継ぎ、実に30駅近く、1時間しっかり熟睡して、ハッと目覚めると、車窓には全く知らない駅のホームがあった。目的地である。眠っている間に、より地中深くまで潜っていたらしい、地上へ続く階段は滅多にお目にかかれないほど長く、急勾配であった。膝に手を当て、息を切らし、やっとの思いで登り切る。1時間ぶりに見る地上は薄暗く、何故なら目の前は4車線ある大通りで、頭上には高速道路か何かの高架が、大通りに蓋をするように空を黒く覆っていた。上野だ、と思った。大通りと、その上に沿って走る高架を見ると、秋葉原から上野間の大通りと重なる。実際、ここは全然、上野とかけ離れた街である。

 

初めて来る街には、独特の心細さがある。地元のように、例えば「そこの角を曲がれば、あの店がある」という前提知識がひとつも無いから、実際に「そこの角を曲がる」まで、どんな場所に繋がっているか未知である。全部の角と言う角がもれなく未知で、無意識に身構えてしまうものだから、常に薄らだるさが付きまとう。バスなどに乗ろうものなら、さながら決死の覚悟である。知らない土地のバスほど、信用ならないものは無い。一度乗ってしまえば、どんな山奥に連れて行かれるか分かったものでは無い。連れて行かれたら最後、無事に帰って来られるだけの土地勘を持ち合わせていないのである。この辺の心細さを、芥川龍之介が「トロッコ」という作品で生々しく描いている。

 

高校時代は電車で片道1時間かかる学校に通っていたから、1ヶ月の定期代は優に1万円を超えていたのだけど、今になって思えば、他人の金で(親の金で)1万円分の行動範囲を与えてもらっていたわけだから贅沢な話である。高校生の私は、幸か不幸か、その事実に3年生になってからようやく気付き、気付いてからは毎日のように、放課後、定期券内の街を、1人徘徊していた。つまり、自発的に「土地勘の無い心細さ」を求め、さらにそれを面白がれるだけの心の余裕があったわけである。

中野や吉祥寺などのメジャーな街には寄り付かず、荻窪や国分寺など、生活感ある街並を好んで歩き回った。この頃に好きになった街が沢山ある。阿佐ヶ谷の駅前にはギャラリースペースがあり、窓から覗き込んでいたら、女性が手招きして入れてくれた。制服姿の私を揶揄うことも無く、小さな湯呑みにお茶を入れて出してくれた。2人でお茶をすすりながら、他愛のない世間話をした。女性は「将来、就職に困ったら私の会社に来れば良い」と言ってくれた。湯呑みには小豆のような豆が揺れていて、玄米茶のような風味があった。知らない街で、知らない人たちの話を聞くのは刺激的な冒険であった。

 

高校時代の刺激は、社会人にとって細やかなストレスに過ぎない。これを面白がれる技量が今もあれば、高校生の定期券内よりも、視野も行動範囲もずっと広がるのだろう。実際の私は、初めての街に対して「上野みたいだ」などという寂しい感想を抱いている。

Googleマップを凝視して、心細さとだるさを引きずりながら、上野に似た街を独り歩いた。

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