土用の丑の日

良い入道雲を見た。触れば弾力がありそうなほど密度が高く、石鹸のCMで見るような山盛りのホイップクリームが、正午のきつい陽の光を反射して、真白く光っていた。他の雲ひとつ無い青空に、堂々と巨大にそびえ立ち、住宅街の植木越しに見ると、深緑の葉のフレームに、空と入道雲が覗いて、まるで鎌倉か熱海の坂の途中で出会すような、いかにも真夏の風景であった。

夏らしい写真が撮れる、と思った。駅に向かって歩いていて、せっかくなら道中より、高架の駅に上ってからの方が、より大きく入道雲の全貌を写せるだろう、と計画した。駅までの十数分間、うっかり消えやしないかと、入道雲をチラチラ振り返りながら歩いた。中身まで相当ぎっちり詰まっていそうだから、1時間は持ち堪えるかに思われた。駅に着いて、ホームに上がって雲を探せば、クリームソーダに浮かぶバニラアイスが溶けるように、下半分が霞んで消えかける入道雲があった。かろうじて残った上半分だけでは、かつての堂々たる姿には及ばなかった。入道雲は、どんなに立派だろうと、所詮は雲だから、儚い。

 

水分補給が大事である。ホームの自動販売機を前にして、いつも通り水か、烏龍茶か、サイダーかで迷った。一切の手加減無しの真昼間の炎天を歩いてきて、身体が火照っていた。多少のカロリーを摂取して、熱中症に気を付けなければならない。このご時世、病院に担ぎ込まれるのは、誰にとっても御免である。思い直し、普段は飲まないポカリスエットのボタンを押した。高校生以来である。ガコン、という打撃音と共に落ちてきたボトルを手に取ると、想像していた刺すような冷たさは無く、体温と大して変わらない、生ぬるいポカリスエットであった。結露が出なくて、良いかもしれない。

 

ポカリスエットは、きちんと冷やさないと、塩味が強く、喉に絡む。粘りつくポカリスエットをグビグビ飲み下しながら、駅のホームで、今年はじめての蝉を聴いた。今年の蝉は、約束を忘れていたかのように、1匹ずつしか現れない。夏の風物詩たちは、その健康的な見た目の陰に、必ず微かな哀しさがある。

土用の丑の日、いよいよ、夏本番。