無地の新聞紙が溢れる街

6時間、紙を千切り続ける仕事をしてきた。

Amazon等で小さい商品を購入すると、そのままでは段ボール内で暴れてしまうから、「無地の新聞紙」をクシャクシャに丸めて同梱し、商品を固定してあったりする。あるいは、同人誌やグッズを発注すると、納品物の上に「無地の新聞紙」が被さって梱包されてくる。

驚くなかれ、これら「無地の新聞紙」とは、元々は幅1m近い巨大なロールペーパーであり、巻かれている長さは実に300m以上。引っ張り出すと、50cmごとに切り取り線が入っており、それをトイレットペーパーの如く、人力で1枚1枚切り取って、ようやく梱包材として使える大きさになるのである。

 

ロール1本を全部千切りきるまでに3時間強。所は神保町、小さな出版社の一室。

ここから日々何百件もの発送物があるとは到底思えないのだが、我々アルバイトには朝っぱらからロールが配られ、うっかり1本目を終わらせてしまった私は2本目も任されてしまい、結局は6時間「無地の新聞紙」を千切り続ける羽目になった。

 

 

神保町は本の街であり、歩けば右も左も何処へ行っても書店・古書店にぶち当たる。一軒一軒のバックヤードには、出版社から納品された段ボール箱が積み上げられており、そこには無数の「無地の新聞紙」が存在しているのである。

 

電子書籍がこんなにも浸透した社会で、未だ「文章」の最終形態には変わらず「本」が君臨している。人が本を読む限り、出版社は本を作って書店に送り、送るためには「無地の新聞紙」が必要であり、6時間紙を千切り続ける仕事は永劫存在し続ける。

神保町は「本の街」であると同時に、「無地の新聞紙が溢れる街」とも呼べるだろう。

 

果たして、神保町から「無地の新聞紙」が消える日は、ありえるだろうか。

全ての人間が電脳化を成功させ、「文章」は「文字列」としてだけで摂取し、「本を読む」という実体験を欲さなくなれば、本が消え、書店が消え、出版社が消え、それでやっと「無地の新聞紙」も消えるだろうか。

人間が本を読まなくなることと、6時間紙を千切り続ける仕事があることと、どちらが文化的に健康であるか。

 


諸々合計9時間のバイトを終えて夜の神保町をブラブラすれば、大通りに面して巨大な三省堂本店ビルがあった。

「このビルにある何千冊の、その何百万倍もの本が世界中で売買されている」という事実を突きつけられ、自分が6時間、千切って積み上げた紙の山が如何にみみっちいか、切なくなった私は、散策もそこそこに地下鉄へと逃げ帰った。

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