猫勘

振り返ると、猫がいる。塀の上に座っている。住宅街の民家である。ほとんど真夜中であるが、玄関扉の上にぶら下がる電灯の黄色い光を反射して、目がキラキラ光っており、彼の1日の活動は、まだまだこれからが本番といった感じである。猫らしく前足を折りたたみ、背中を丸めて座っているが、顔だけはしっかり前を向いて、しゃんとしている。目元の黒いハチワレである。私は、猫に向かって小さく手を振った。猫は全く微動だにせず、顔は精気と緊張に満ちたまま、ジッと私の目を見つめている。敵意である。見つめ合う行為は、猫にとって喧嘩の合図とされる。私はおずおず視線を落として、回れ右して歩き出した。彼とここで出くわすのは2度目であった。同じ場所、同じような真夜中で、歩きながら、ふと振り返ると、塀の上に座っていた。私は、猫については勘が良い。暗かろうが、遠かろうが、草木に紛れていようが、そこにいる、と思う間もなく、振り返った先に猫がいる。しかし、勘が良いから、すなわち猫からも好かれるという訳じゃなく、すり寄ってくることもなければ、撫でさせてもらったことも、無い。そもそも、手の届く距離で猫と対話したことが無い。大抵は1、2メートルの距離があって、お互いがお互いを、そこにいる、と認識しあうだけである。猫という生物への解像度は、何年経っても一向に深まらない。

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塀の彼を通り過ぎて、また少し歩くと、3階建ての大きいアパートがあり、道路に面して各部屋、広い窓とベランダが付いていて、1階のその部屋は、窓際にキャットタワーを置いているらしく、いつ通りかかっても、ベランダと窓越しに、長毛の猫が気品よく座っているのが見える。朝晩関係なく、何時でもそこにいらっしゃるから、食事と睡眠以外の全部を、景色の鑑賞に費やしているようである。塀の彼とは違い、こちらはベランダと窓越しだからか、私が目を向けようが手を振ろうが、特別な興味も警戒も無い。景色の一部に過ぎないのだろう。風が吹き、鳩が飛び、車、自転車が走り去るのと同じように、稀に人間が歩いて来て、通り過ぎて行く。もっとも、猫が何をもって鳩を鳩、車を車、人間を人間と判断しているのかは疑問である。同じ部屋にいるだろう飼い主と、外の景色の中を通り過ぎる私とを、果たして同じ人間だと認識しているだろうか。場合によっては、鳩などと同列視、遠近法、視力によっては、4足の虫と判断されてもおかしくはない。4足の虫が、ちょっと立ち止まって、前足を小さく振っている。風が吹き、ライトを点けた車が、ゆっくりと走り去る。今夜は晴れ、月が眩しい。4足の虫が、また歩き出した。今日は、もう寝ようか。キャットタワーから飛び降りて、ベッドにうずくまり、長毛の猫は静かに目を閉じた。

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