11月15日(地下鉄)

久しぶりに地下鉄を利用した。中学生時代は毎日1時間以上も地下鉄に揺られて通学していたが、最近ではもっぱら高架鉄道ばかりである。

 

今日は新宿線から千代田線へと乗り換えた。地上と違って目印になるお店やビルが少ないから、どの路線でも、どこを見ても、大体同じような景色が続いている。なんなら世界中どの地下鉄も同じ雰囲気なのではとも思う。

地下道の生ぬるい空気や白い蛍光灯で照らされたホームはもちろん、一度電車に乗り込んでしまえば、車窓から見えるのはトンネルの黒い壁ばかりで、新宿線だろうがニューヨークシティ・サブウェイだろうが大して変わらないだろう。

 

ニューヨークシティ・サブウェイは知らないが、少なくとも日本の地下鉄構内には各所に案内板が設置されているから、見渡す限り同じ景色だとしても迷うことはほとんど無い。

天井に吊るされた看板や地面に描かれた矢印をつたって歩けば、自動的に目的地まで辿り着けるようになっている。「帰りのために」と振り返りながら必死に景色を覚えておく必要もない。帰りには、帰りの矢印が用意されている。

 

何も考えず、矢印だけを頼りに歩き続けていると、地下鉄の空気に溶かし込まれていくような気分になる。自らの意志を持たず、指示通りにトンネル内を進み続ける姿は、ほとんどロボットと同じである。目から入る情報をスキャンし、自分が向かうべき方向を認知し、そちらに方向を合わせて足を動かす。

確かに、こうしていれば間違いなく目的地まで辿り着けるのだが、毎度どうしても「自力でたどり着いた」という実感が持てない。ベルトコンベアでウィンウィン運ばれてきたような、「うっかり着いちゃったな」ぐらいの感覚である。もう一度来ることがあったとしても、また同じように矢印をつたい歩くことになるだろう。

 

人間が意識的に地下鉄構内を歩き回れる日は来るのだろうか。

もし、人間に「あっちが北だから、〇〇線〇〇改札はこっちだろう」的な判断能力があったら、そもそも案内矢印なんてものは存在しなかったのかもしれない。

地下鉄構内には、人間には無い能力を補うための矢印で溢れている。

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