幼少時代、誰もが一度は思い描いたであろう景色を、私も見ていた。エスカレーターの階段は、地面の中で逆さになってガラガラ回り、床屋のサインポールは地下数百メートルまで根を生やし、無限に上へと伸び続けていた。物理的な可能不可能を知るより以前、我々は目の前の疑問について、想像という広大な可能性の中で真理を探していたのである。
見えない場所、とは、想像の余地があり過ぎる。大人になって、物の構造をあらかた知った上で、しかし、実際にエスカレーターを分解したり、サインポールの下を掘り返したことは一度も無い。見ていない、なら、想像するよりほかにない。普段踏みつけているアスファルトの下には、どんな空間が広がっているのか。
夜道を歩いていると、歩道の端に、直径20センチ大の穴が空いていた。そこだけアスファルトがボロっと崩れ落ち、覗き込むと、暗闇が澱んでいた。底が見えぬ。住宅街の道路下など、土が詰まっていて当然と思っていたら、空洞である。少なくとも1メートルの深さがある。何より恐ろしいのが、その崩れ落ちたアスファルトの断面が、厚さ数センチ程度しかないのである。崩れる、よりも、剥がれ落ちる、が合っている。空洞の上に、ペラっと一枚アスファルトを張って、私はその上を歩いていた。知らず、一点に体重を掛ければ、たちまち地下の奈落へと吸い込まれていたかも知れない。
埼玉の地下には、治水のために壮大な地下施設が備わっているらしいが、そういうものが例えば私の家の下にあるか、どうか。あらゆる方向に張り巡らされている地下鉄のトンネルは、実は私の足元、すぐ下を通っているかも知れぬ。地元の地下事情についてさえ何も知らない以上、もはや自宅下に地底人が帝国を構えている可能性だって、否定は出来ない。
幼少時代に想像していた地下とは、エスカレーターの階段が回り、サインポールの根が林のように立ち並び、さながら遊園地のようであった。今、大人になってみて、地下には階段もサインポールもあり得ないという知識だけを持ち、実際、足元に広がる空間については、全くの暗闇である。想像の魔法が解けて、ただ「知らない」という事実だけが浮き彫りにされている。
文字通り、ぽっかり穴が空いている。同じ暗闇なら、「地下帝国が栄えている」ことにでもしておいた方が、ロマンがあって良いかも知れない。道端の穴は、どこに続いていただろうか。