7月11日(進化と下水)

山手線に乗り込むと、平日の昼過ぎだからか、すんなりと座ることが出来た。向かいの席には5歳くらいの女の子と母親が座っている。

女の子は、今流行りの「タッチペンで書けて、ボタン押すと消える黒いボード」(電子メモ帳・電子パッドと呼ぶらしい)で熱心にお絵描きをしている。

 

同じ電子パッドとタッチペンを5歳児の私に与えたら、鉛筆のような緻密な線が書けて、それがボタンひとつで消えてしまう様子に「どうなってるんだ」と大はしゃぎしただろう。

あの女の子の様に「熱心なお絵描き」ではなく、「書いたものが消える遊び」だと認識したかもしれない。

スマホひとつで全てが完結する時代なのだから、画用紙とクレヨンに触れる前にタッチペンと電子パッドでお絵描きする子供がいても不思議じゃない。

 

ガラケーからスマホに移行した我々は「スマホの便利さ」を感じているけれど、最初からスマホを持っていた世代は「ガラケーの不便さ」しか分からないように、最先端技術に驚くのは常に少し上の世代だけであって、生まれた時から準最新の技術に囲まれてきた若い世代には、対した驚きでは無いだろう。

 

誰もが未だ見たことがないものを生み出すのは、いつだって若い世代のはずである。

 

 

仕事帰りの23時、静寂に包まれる住宅街で1人、小さな横断歩道の赤信号を待っている。

真っ直ぐな道路の前方にも後方にも、誰の姿も見えないので、自分以外の人間が絶滅した世界線に飛ばされたような、不安な心地になる。

別に誰も見ていないのだから、無視して渡ってしまっても良いのだけど、立ち止まれるなら立ち止まりたい程には疲れているので、ぼんやりと虚空を眺めながら、青に変わるのを待っていた。

 

ふと、何処からか「ザパア、ザパア」と水音が聴こえてくることに気が付いた。大量の水が勢いよく流れているような、くぐもった音である。

耳をすましてみると、どうやら音源は足元のようで、恐らくは地下を流れる下水の音だろう。

 

知らない人間がシャワーで洗い流した垢、キッチンで流した食べ残し、トイレの排泄物なんかが今、自分の真下を流れているのかもしれない。住宅街の家々ひとつひとつで生活している、会ったことのない人間達の生温かい体温を想像してしまい、ゾッとする。

 

誰1人歩いていない夜道の冷たさとのギャップに軽く息苦しさを覚え、青信号を待たずして横断歩道へと踏み出した。

secret.[click].