8月5日(ジャンル)

ショッピングモールにある書店など、大きい規模の書店では稀に、文庫本が「出版社別」に陳列されていることがある。

毎日大量に入荷する商品を棚に入れていく上で、「届いたものを届いた順に入れやすい」配置なのかも知れないが、素人的には「自分が読みたい本がどこの出版社から出ているかなど、知ったこっちゃない」。

読み慣れたシリーズなら、例えば、綾辻行人の「館」シリーズは全て講談社文庫だと知っているが、初めて読む作家の新作を読んでみたいと思っても、各出版社の棚から作者の名前を探さなければならない。

 

そんな理由で、「出版社ごちゃまぜ作者名前順」で陳列している書店が好きなのだけど、よくよく考えてみたら、出版社別も名前順も、いささか不自然な並べ方である。

 

 

普通、"作品" を扱う売り場では必ず「ジャンル分け」されている。

CD売り場なら演歌・アイドル・アニソン・ロックetc.、商品の見つけやすさと、ジャンルごとの客層を意識しての「ジャンル分け」である。キングレコードはこの棚、ソニーミュージックはこの棚、のような店は見たことがない。「レコード社ごちゃ混ぜ名前順」も同様である。

少し変わって、ステージや美術館でも「クラシックバレエのイベントにはクラシックバレエの演目しかない」というのは当たり前の事である。「和楽器のイベントを見に来たのに、ジャズバンドが出てきた」「西洋美術館に浮世絵がある」なんてことはあり得ない。

 

客の好きなジャンルを集めて提供するため、同じジャンル内の他の商品も手に取ってもらうために、「ジャンルごと」の商品陳列は必須かと思われる。

「個性的で自由な表現」を評価しているように見える芸術だが、実は明確な線引きでジャンルを区別している業界である。

 

 

推理小説なら推理小説だけを集めた棚を作れば、私のようなミステリー狂は上から順番に買っていくかも知れない。

にも関わらず、小説だけは何故か、SF・恋愛・エッセイ・青春・ホラー、ジャンルも客層も文体も無視した「出版社ごと」「作者ごと」の陳列が可能なのである。

 

ジャンル分けの無い、または曖昧な芸術は、文学くらいなのでは無いだろうか。

作った人間1人ひとりが、ある意味「ジャンル」として確立しているのは、文学における自由度の高さ、可能性の広さゆえかも知れない。

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