手を開いて指を揃えた状態で小指だけを曲げる練習をしている。
耳を動かしたり、足の指をグーチョキパーしたりも練習して出来るようになったから、手の小指くらい動かせるようになると思う。
因みに、生まれつき肩甲骨をパタパタできたり、左右の眉毛を別々に動かせたりもするけれど、人生で役に立った事はない。
プライドは "経験年数" に比例する。
3年生だから・10年続けてきたからetc. 「これだけ続けてきたから自信を持って胸を張りたい」が殆どのプライドの正体である。年数を積めば自然と能力も伴ってくるからまだ良いけれど、厄介なのは "地位" からくるプライドだ。
先輩・先生・課長・社長・議員、これらは地位ではなく単なる "役割" で、たまたま教える・統率をとる・指示を出す役割なだけであって、必ずしも「地位が高い=偉い」わけではない。
「じゃあその役割を果たせる能力と経験年数にプライドを持っちゃいけないのか」。日本を見渡して自分より優れた人間なんて五万といるし、10年やってるって言ったって同じことを30年続けてる人も50年続けている人も居るだろう。
経験年数からのプライドも、地位からくるプライドも曖昧なもので、そんなものを振りかざしたって何にもならない。持つべきものは "プロ意識" である。プライドに責任は伴わないが、プロには責任が伴う。履き違えたら、いけない。
プライドを持って仕事をするんじゃない、「プロ意識を持って」やるべきである。