温泉へ行こう

この家に越して来て2ヶ月が過ぎようとしている。アパートでありながら、間取りは成人2人が暮らすには十二分に広く、さらに元より少ない我々の持ち物の、ほとんど全部が押入れに収まってしまったために、いつまで経っても殺風景に広いフローリングを眺めながら、仲良く並んで食事する毎日である。引越し前から寝室と決めていた部屋にエアコンが無く、蒸し上がる暑さに耐えかねて結局リビングで寝起きする羽目になったという点を除けば、広大な部屋と、また、周辺の閑静かつ充実した街並みは、身に余るほど贅沢な生活環境と言える。

 

車で気軽に行ける距離に2つも温泉があって、我々は2週に一遍くらいのペースで通っている。温泉、というのは、単に私たちがそう呼んでいるというだけで、実際は、近隣の住人で賑わう大型公衆浴場である。同棲の彼は、温泉、銭湯、とにかく広い湯船に浸かる趣味があり、引っ越し当初から「出来れば週に一度、どんなに少なくとも月に一度は温泉に行きたい」と宣言する変わった人で、実のところ私は温泉に対して一般以上の感慨を持ち合わせていなかったのだけど、断る理由も無いので、毎度観光のつもりで着いて行っていたら、まんまと「広い湯船に浸かる趣味」を獲得してしまった。

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公衆の施設、特に公衆浴場は、むしろ苦手な部類のはずであった。幼少期より集団行動が出来ず、その最たる例が合宿。大人数での移動、食事、入浴、全工程で必ず私がビリであり、集合場所へ遅刻、食事終わりに用をたしに行っている間に人とはぐれる、準備に手間取って入浴時間に間に合わない。起床から就寝まで、途切れることなく大勢の他人と一緒にこなさなければならないという緊張感、その中でも、特別、風呂が苦痛であった。着替えから入浴まで、自分独自の確固たるプロセスがあって、否が応でもそれを崩さないがために、周囲より2歩も3歩も遅れて風呂場に到着し、最後に出る。年齢が上がるにつれ、流石に周りに迷惑だと自覚し、高校の合宿では遂に、湯船に浸かることを放棄して、とにかく身体中を洗い流して、それで終わり、という乱暴な解決策を打ち立てたりもした。公衆浴場、合宿、集団行動、そういう過去の連想によって、私はだんだんと銭湯、温泉といったものに対してまで、潜在的な苦手意識を持つようになったのである。

25歳、おっかなびっくり、公衆浴場とやらを覗いてみれば、「公衆」とは、同級生や先生ではなく、今日偶然居合わせた他人ばかりであって、公衆浴場は「公衆浴場」とは名ばかりの、ただ贅沢に広い浴場であった。浴場には、温い湯船、泡立つ湯船、電気風呂、露天風呂があり、その全てに、いつどのタイミングで入っても良いのである。多くの人にとっては当たり前のことだろうが、私にとっては、無駄に恐怖しなければならない物が1つ減り、代わりに、一生のうちに愛せる娯楽が新たに1つ増えたような心地で、露天風呂に肩まで浸かり、遠くに見える雑木林の影を眺めながら、呆然と感慨に耽っていた。

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「今日は温泉に行こうか」を合言葉に、仕事終わりの彼の車に乗り込んで、すっかりお馴染みとなった公衆浴場へ到着した。男湯と女湯で分かれて、私は、私の気が済むまで身体を洗い、湯船に浸かる。今日は初めて、「爽流の湯」と書かれた強力なジャグジー風呂を選んだ。水圧と泡で全身をこれでもかというほどブクブクさせると、腰の筋肉痛が幾分和らいだ気がした。それから露天風呂に浸かって、真上に浮かぶ月を見上げ、最後にもう一度、ジャグジー風呂で身体をブクブクさせてから上がった。

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