24回目の八月

思い返してみれば、はじめから妙な夏であった。まだ7月であるにも関わらず、都内の最高気温は驚異の35度超えを記録し、このまま気温が上がり続ければ8月に入る頃には文字通り人が蒸発するのではないかと懸念され、冷房の設定温度は日に日に下がり、それに反比例するように上がる電気料金、連日鳴り響く熱中症警戒アラート、列島中に嘆息立ち込める中、私も例に漏れずして、熱で煮えたぎる身体を振り絞り、振り絞り、なんとか生活していたのだが、ある日、どう努力しても一向に身体の熱が冷めない。脇に体温計を差し込むと、39度と出た。

人生に一度、出るか出ないかという高熱である。慌てて医者へと駆け込み、あらゆるウイルスの検査をするが、ことごとく陰性である。ウイルス性の病気じゃない、と分かった途端、老齢の医者はすこぶる上機嫌になって、「夏風邪でしょうね。長引くかと思います」、あっけらかんと言う。冗談じゃない、私は躍起になって、「しかし、39度なんていう数字は異常でしょう」と訴えるが、医者は喉奥で低く笑うばかりで、取り合わない。解熱剤だけ処方された。

 

原因不明の体調不良に接する時、医者ほど冷淡な生き物はいない。苦痛の原因が見当たらなければ、すなわち苦痛が存在しないのと同義であるらしく、私が実際どれだけの苦痛を感じているか、という訴えに同情することはない。原因が分からない限りは、私の苦痛も、虚言と切り捨ててしまって問題ないらしい。医者は診察する仕事なのだから、さらに同情まで求めるとは酷な話だ、というのは承知の上で、最低限、神妙な顔付きくらいはして欲しいものである。私は過去、歯医者の診察台に寝転び、顎関節症で3センチ程度しか開かない口を、痛みを我慢してめいいっぱい開き、それを見た医者が、「もうちょっと開けられますか?嗚呼これしか開かないんでしたっけ」と鼻で笑ったことを、未だ恨んでいる。

 

ほとんど寝たきりの生活が始まった。高熱は3日以上下がらず、身体を真っ赤にして寝込む私の姿は確かに病人であったが、食事と睡眠のふたつだけに集中する生活は、不思議と健康そのものであった。深夜型だった生活サイクルは自然と朝型へ移行し、努力せずとも朝10時前には起きられるようになった。幸か不幸か!健康的な生活を手に入れたわけだが、肝心の私自身は変わらず病人であり、原因不明の熱に浮かされながら、まるで実感のない健康生活を他人事のように眺めて過ごした。大海原の真ん中で、酷い船酔いに耐えながら美しい夕焼けを見ているような、24回目の八月が終わった。

secret.[click].