赤鼻のトナカイ

居酒屋のカウンターに敷かれた敷紙の隅に、筆文字で小さく、師走、と書かれていたので、来月の名前を書くなんて、ここのご主人はさぞかし気が早い人なのだろうなあ、と、ビールに浮かされた頭でぼんやり思っていたのだが、素面になった今思い返せば、今日は事実、12月、師走であり、ご主人は何ひとつ間違ってはいない。暖冬のためにいつまでも秋気分に浸っていたからか、はたまた数年ぶりの生ビールで脳神経が滅しちゃったのか、始まって2週間以上が経過しているにも関わらず、未だ全然「12月」という現実を自覚出来ていなかった。走るべきなのは師ではなく、私自身である。空腹にビールはよそうと思った。

 

金曜日の昼間。平日にも関わらず、駅前もショッピングモールも、何処もかしこも人が多い。最も多いのは子ども連れで、あとは夫婦、カップル、高校生くらいの若い集団もある。普段は右往左往好き勝手に歩ける場所が、冬休みに入った途端にこの有り様である。無論、私がこれまでのびのび歩けていたのは、ここに居る彼らが勤勉に通勤通学していて、その間、私だけが悠々遊び歩いていたからであり、彼らが亀でありアリであるならば、私は兎でありキリギリスであると言える。冬休みの間だけでも、私の方が遠慮して家に篭るべきなのだろうが、どうしても、遊んでいた場所を奪われ、隅に追いやられたような、子供じみた悔しさがある。生活に対して、常に根拠のない後ろめたさを感じているのは、1年前と変わらない。マフラーに鼻を埋めて、そそくさと帰路に着いた。

1年前と違うことと言えば、初対面の人に10代だと間違われなくなったことくらいである。些細なことだが、しかし、これは歴とした進化であるように思う。去年までは、18か19歳、場合によっては「高校生ですか」と真顔で聞かれることも多々あって、その度に私は苦笑いしながら自己紹介していたのだが、今では、21か22歳、最も遠くても大学生で、流石に10代とは言われなくなった。つまり、私はこの1年間で、一般的な人間2、3歳分の成長を遂げたと言える。仮に見た目だけだったとしても、第三者的評価にこれだけ明確な変化があるわけだから、我ながら大した進化である。しかし実際、私は今年24歳、来年には25歳になるわけで、この調子ではいつまで経っても外見と実年齢が追いかけっこである。来年は、1年間で3、4歳分の成長を目標としようか。

 

人の多いのは繁華街だけで、住宅街まで歩いて来ると、灰色の道を冷たい風が吹き抜けるだけで、誰も居ない。保育園の前を通ると、開け放たれた窓から、園児たちが合唱する甲高い声が聴こえてきた。知らないクリスマスソングである。メロディがところどころ「赤鼻のトナカイ」に似ているような気もする。合唱が遠くに聴こえなくなるまで耳をそば立てて、出来るだけゆっくり歩いてみたが、結局、曲の題名は分からなかった。私はマフラーの中で、自分の耳にすら届かないほど微かに「赤鼻のトナカイ」を口ずさんだ。今の少年少女たちが歌うクリスマスソングを、私はひとつも知らないのかも知れないし、私が口ずさむクリスマスソングを、彼らはひとつも知らないのかも知れない。私はもう、ほとんどの部分が少女ではなくなってしまった。

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