アズサてやんday

六帖アズサのブログ

12月24日(顔確認と同情)

昨今のマスク社会において、"常に自分の顔を覆って歩ける" という安心感の代償として、不意に求められる "顔確認" でマスクを外す瞬間の羞恥心ったら、ない。

身分証の写真と顔を一致させるため等、平常時がマスク着用の今だからこそ、これまでならわざわざ設けなくてよかった "顔確認" の工程が生まれ、相手に顔を確認される為だけに自分の顔を見せる瞬間が生まれてしまった。

マスク社会では避けられそうにない羞恥心タイムである。

 


痩せているニートと太っているニート、どちらの印象が良いかと言われたら、断然、痩せているニートかと思われる。


他人を評価する基準は、性格・見た目等の "良し悪し" のほか、人それぞれに無数に存在し、その中の1つに "同情出来るか出来ないか" がある。

ただ痩せているだけなら若干のプラス要素にしかならないが、そこに圧倒的なマイナス要素である "ニート" という事実が加わることで、マイナスが "同情" にすり替わるのだ。


自分をなるべく良く見せたいのが人間の性だけれど、おそらく最も楽な生き方は、同情を買い、仕方なしに許される隙間を作ることである。

人間が、可哀想な人間相手に攻撃したり、貶めたりすることは、そういう性癖でない限り、滅多に起こり得ない。可哀想な人間は、別段暖かくもないが氷点下までは下がらない場所で、静かに暮らしていけるのである。


"同情されるかどうか" こんな基準を元にしていること自体がそもそも恥ずべき事ですが、ただ幸せなだけが人生じゃ無い現実、せめて少し楽な道を選ぶことくらいは、自分で自分を許しても良いと思います。

明日からも、痩せたニートとして、無風の底辺を彷徨い歩く。