大人しく『進学』を選べずにいるのは、単純に、やりたいことが分からないから。後々の就職を考えたら理系大学が良いんだろうけど、自分の成績では到底受かる気がしない。4年間毎日勉強したいと思える科目なんて無いし、つまらない授業のために通学するのは、高校までで十分だ。
かと言って、卒業して直ぐ就職するなんて御免だ。同級生たちがキャンパスライフをエンジョイする中、朝から晩まで働いて、夜は飲み会に付き合わされて、休日は家で独り。19歳からそんな生活をしていたら、その後の人生に希望なんて持てない。
「だからって、死ぬのは勿体ない気がしちゃうんですよね」
「はは」
進路指導の先生は呆れたように笑った。机の上には、まだ名前すら書いていない『進路希望調査票』が置いてある。
初めて進路相談室に来たけれど、壁一面の本棚には大学の資料がびっしりと詰まっていて、暗に『大学進学』を押し付けられているようだった。
先生は、私の成績でも受かりそうな大学、資格の取りやすい専門学校、そして『安楽死』の資料冊子を並べて、諭すように言った。
「とりあえず大学に行く、っていうのが一番無難かな。新卒なら就職もしやすいし。やりたいことが無いなら、見学に行ってみて、ちょっとでも面白そうと思える学部にすれば良い」
文系ならこの辺り、と資料のページをめくっていく。大学生たちが笑顔でキャンパスを歩く写真を眺めながら、密かに考えていたことを聞いてみた。
「バイトしながらやりたいことを探す、っていうのは駄目なんですか?」
「フリーターということですか?」
先生は一瞬あっけにとられたようだったが、直ぐに神妙な面持ちで、
「進路が決まっていない人は卒業資格を得られません」
と告げた。
高校卒業資格は進路が決まった人にのみ与えられ、進路とは『進学・就職・安楽死』のいずれかである必要がある。これは国で決められたことであり、3つ以外を選んだ者は卒業ではなく、自主退学とみなされる。フリーターになり、その後入りたい大学が見つかったとしても、学歴は中卒扱いのため受験資格は無い。
「全くやりたいことが無くて、入りたい大学も無く、就職もしないんだったら『安楽死』を勧めますけど。どうですか?」
先生は新たに資料を広げ、グラフを指しながら説明を続ける。
「全国の高校生の内、毎年約1割が『安楽死』を選択しています。あなたの学年ですと、現時点で10人程度が『安楽死』に決めていますね」
私は雨木百合子のことを思い出していた。
あの日、彼女は一切迷いのない声で『安楽死』と言った。ポカンとしている私には見向きもせず、さっさとプリントを仕舞い、帰り支度をして席を立ってしまった。次の日も、また次の日も、彼女は相変わらず全ての授業を真面目に受け、クラス委員の仕事も完璧にこなしていた。
成績優秀、どこの大学にもするりと入れそうな優等生が、なぜ『安楽死』を選択したのか。気になってはいたものの、進路を尋ねた時の、あの苛立った目を思い出してしまって、何となく声をかけられずにいる。
とりあえず資料を受け取って、進路相談は終了となった。相談室の引き戸をガラガラと開け、先生に一礼して廊下に出る。もわんとした空気に包まれて、途端に汗が滲んだ。資料とスクールバッグを担ぎ直して、昇降口を目指す。
やりたいことが無いなら『安楽死』。生きていくなら『進学』か『就職』。フリーターになったら、多分、一生フリーターのまま。
死んでしまえば、今後の人生について考える必要もない。でも、まだ18歳だ。人生を終わらせてしまうには少し早い気がする。40歳、50歳になった自分は想像できないし、なりたいとも思わないけど、20代の若者として生きている自分は、結構楽しそうだと思う。具体的に何が、っていうのは全然分からないないけども。
何となくバイトして、一人暮らしして、やりたいことが見つかったらラッキー。そんなのは甘ったれた考えだろうか。
伝う汗を袖口でぬぐいながら、階段を降りきって角を曲がる。
生ぬるい風が吹き抜ける昇降口で、靴を履く雨木さんと目が合った。