「進路選択」_1/4

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「じゃあ配るから、後ろに回して」

 最前列の机にプリントの束が置かれていく。1枚取って後ろの席へ、1枚取ってまたその後ろへと回され、静かな教室には紙をめくるバサバサという音だけが響いていた。

 先生は黒板に『9月10日〆』と書き、チョークを叩いて声を張り上げる。

「大学、専門学校に進学する人は1の『進学』、就職予定の人は2の『就職』、3を選んだ人は3に丸をつけてください。下の保護者同意欄には親御さんのサインをもらってくるように。提出期限は夏休み明け、9月10日です。遅れると国から催促状が届くので、早めに提出してください。それじゃあ日直、閉めて」

「起立、礼、さようなら」

 

 途端に騒がしくなる教室に、ふうと息を吐いた。チャイムに混ざって蝉の鳴く声が聴こえてくる。窓の外には地面から放出された熱気が立ち込め、遠くの住宅街が蜃気楼のように揺れていた。

   こんなに暑い中を歩いて帰るなど、自殺行為に近いんじゃないか。ズルズルと椅子に沈み込んで、先程配られたプリントを手に取った。日に照らされて、表面が生温かくなっている。タイトルには大きく『進路希望調査票』とあった。

 

 まだ高2の夏休み前だ。卒業まで1年以上もあるというのに、夏中に進路を選び、そこに向かって残りの1年を過ごせと言うのだ。そんなに大事なことを紙ぺら1枚で、3択に丸を付けて、「これで決定です」と言い切れる17歳がいるだろうか。

 つい数秒前まで静かだった教室は、各々の部活や予定に遅れまいと騒ぐ声でいっぱいだった。私も部活くらいやっていれば、内申点が上がったり、推薦をもらえたりしたかもしれない。今さら成績のために部活に入るなんて、炎天下の中を帰るよりも非現実的だけど。

 

 慌ただしく教室を出ていく友達と「お疲れ」を交わして、ふと、私以外にもう一人、まだ席に着いたままの生徒を見つけた。

 低めの位置でツインテールを結った、クラス委員の子だ。放課後だというのにピンと背筋を伸ばして、熱心にノートを書き込んでいる。成績優秀な子は、ああやって沢山勉強して、良い大学に入って、バリバリのキャリアOLになって、結婚して子供を産んで、裕福な家庭を築くんだろうな。

 羨ましい。

 そう、ちょっと羨ましいなと思っただけなのだ。クラスの優等生がどんな凄い大学を目指しているのか、その他大勢の野次馬として気になっただけ。それに、もう少し時間をおいた方が、外の熱気も多少はマシになるだろう。

 部活組がほとんど出ていき、教室に残っているのは私を含めてもほんの数人。暇つぶしがてら、普段話さないような子と話してみるのも面白そうだ。

 

 私は席を立って、未だ熱心にペンを走らせる彼女の正面に座った。忙しなく動いていた手が止まり、彼女はゆっくりと顔を上げた。

「何?」

 ノートにはびっしりと数式が並んでいた。ちらっと見た感じ、まだ授業では習っていない公式のようだ。ちょっと怖気づきそうになったが、話しかけたのはこっちだし、後には引けない。

「成績良いよね」

「そうかな」

「私なんて全然ダメ。この間のテストもギリギリだったし」

「そう」

 彼女は直ぐノートへ視線を戻してしまう。

「進路、決まってる?」

「うん」

「どこの大学行くの?」

「大学じゃない」

「え、就職?」

「何で?」

「何でって、頭良いのにもったいないなって」

 彼女がコトン、とペンを置いた。

「あなたは決まってるの?」

「全然。そんな直ぐに決められないよ。でも一人暮らしはしたいよね。そうなると、やっぱり進学かなあ。雨木さんくらい勉強出来たら、大学選び放題だよね」

 

 彼女は小さく息を吸って顔を上げた。瞳には明らかに苛立ちが滲んでいた。

 不躾な言い方だったかもしれない。謝ろうと口を開きかけた時、彼女は引き出しからプリントを取り出して、ノートの上に広げた。『進路希望調査票』だ。

 

 タイトルの下、1~3番の三択のうち、ボールペンで丸付けられた箇所をトンと指さして、彼女は確かにこう言ったのだ。

 

「私は3番。『卒業月末日での安楽死』」

 

 彼女は、雨木百合子は、高校卒業と同時に死ぬという。

 

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