行動範囲と視野と知見

家から一番遠いスーパーまで買い出しに出掛け、エコバッグをガサガサ振り回しながら帰路に着く。18時半、買い物客と会社員、放課後の学生達で、何処もかしこもごった返している。

駅から吐き出された人の波に混ざって、住宅街を目指す。いつも通りぼんやり歩いていたところで突然、衝撃的な事実に気付いた。

「歩く速度、あまりにも遅くないか」

 

私が特別遅いという話ではない。前を歩く人と一定の間隔を保って進んでいるし、後ろの人に追い越されることも滅多にない。問題は、背後からやって来る車やら自転車やらバイクやらに、数え切れないほど追い抜かれている点である。

私が1メートル進む間に、少なくとも2台の車が追い抜いて行く。全く意識してこなかったが、よく考えたら、私がちまちま15分かけて歩く距離を、自転車なら10分弱、車なら5.6分で到着するのである。往復で10〜20分、1週間で1時間〜2時間の節約。ムクムクと嫉妬心が首をもたげた。私は、自転車も車も運転出来ない。

 

 

例えば鎌倉を観光するとして、「歩き」なら小町通りから鶴岡八幡宮あたりでヘトヘトだが、その時間で「自転車」なら北鎌倉まで足を伸ばせる。「車」なら鎌倉どころか江ノ島まで回れるかもしれない。

移動手段に「自転車・車」があるだけで、同じ時間内での行動範囲が、圧倒的に広がるのである。

 

行動範囲が広がれば、自分の視野も広がるだろうか。

何度か鎌倉を散策したことがあるが、先述の通り、鶴岡八幡宮より北は未踏である。観光マップによれば、北鎌倉には4つの寺があるらしいが、例えばその寺に訪れたとして、私の人生において途轍もなく重要な場所になっていた可能性もある。歩いて行けなかったが為に、その可能性を捨ててしまったかも知れない。

あるいは鎌倉中をツーリングしたとして、私が鎌倉散歩で見つけた、中町通りの美味しい豆屋を見つけられただろうか。通りから少し外れたお洒落な雑貨店に、目を留められただろうか。

 

より早く、より便利な移動手段を手に入れたとして、広がった行動範囲と比例して、自分の知見まで広がるとは限らないのかもしれない。自力でちまちま歩き回らなければ見つからない、気付かないものがあるはずである。

 

 

住宅街の入り口までやって来ると、どこかの家の夕飯か、アジの香ばしい匂いが漂ってきた。

「アジのひらき、最近食べていないな」と、これは「歩き」でなければ分からない気付きである。

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