12月30日(故障)

形ある物は必ず壊れる運命にあるわけで、それは「生きものの死」と同意だけれども、我々が数十年間、細胞を入れ替えつつ自力で延命していくのに対して、物は何の前触れもなく、ある日突然爆発したりするから大変困る。

 

振り返ればこの一年、電子レンジが火花を噴いた日を皮切りに、元々なんとなく調子の悪かった冷蔵庫がとうとう大音量で唸り出し、給湯器が壊れ、CDプレーヤーが壊れ、掃除機のローラーは回らなくなり、魔法瓶から湯を注ごうとすれば、空気が混ざって下痢のような音を奏でたりと、家電という家電が阿鼻叫喚。

それぞれ購入時期はバラバラなのにも関わらず、「次は私の番だ」とでも言うように次々壊れていく様子は、いっそ清々しいくらい地獄であったし、そうこう思い出している間に自室の電灯が切れた。

 

 

壊れた・故障したその瞬間はどうしようもない無力感に苛まれるが、物の素晴らしいところは「買い替えれば解決できる」点である。

 

例えば、石器時代の猿人たちが死に物狂いで起こした火を、誰かが不注意で消してしまったとする。また材料を集めるところからやり直さないといけないかもしれないし、薪の予備があったとしても、火起こしをもう一度やる羽目になる。

それらは消してしまった張本人の担当だろう。本人も「悪かった」とは言いつつも「別に故意に消したわけじゃないし」と煮え切らない思いを抱えるだろう。その後も仲間内で「お前あの時、火消したよな」と馬鹿にされ、その度に作り笑いを貼り付けながら、心中では「誰もその後の火起こし、手伝ってくれなかったよな」と悪態をつく。仲間への疑念は時間と共に大きくなり、彼は集団で孤立してしまうかもしれない。

 

現代、他人の家の電子レンジを壊したとて、ヨドバシカメラで購入した新品を渡して謝れば解決である。自力で電磁波を生成したり、1から回路を組む必要はない。

壊れたら買い替えれば良い社会は、生きものが生きていく上で非常に重要な、「生物レベルでとても便利な文明」である。

 

 

人類の誕生から約700万年、身の回りにある物は大抵、買い替えがきくようになっている。が、未だに自分達の命だけは原始時代の火と同じく「燃え盛って、消えたらお終り」のままである事実が、愛おしくてならない。

替えの物が溢れれば溢れるほど、我々があくまでも「火」であることを、思い知らされる。