積もる保証のない雪

風が吹き、水が流れるのと同じように、雪とは積もるものである。天気予報で「明日にかけて雪でしょう」と言われれば、「明朝は一面雪景色です」という意味で、「雪でしょう」はイコール「積もるでしょうから、そのつもりで」という呼び掛けでもある。「雪が積もる」のは、自然現象として根本的な、最も普遍的な結果にすぎない。

しかし関東地方、特に東京の雪は積もらない。「雪でしょう」と言っても、蓋を開けたら「ほとんど雨かも」「でも積もったりしたら大変」などという憶測ばかりで、いざ当日になってみれば、ただ白っぽい雨がビシャビシャ降るだけだったりする。そもそも「雪」という現象に「積もる」という結果が約束されていないのだ。自然の摂理に反している。

 

例えば家電量販店で、「これはテレビですが、映らないかもしれません」なんて商品があったとして、成立するだろうか。テレビは映像を観るために購入するのであって、「場合によっては映ることもあるし、もし映ったらラッキーですね」などというフワフワした設定じゃ、何のためにお金を払うのか分からない。BSもスカパーもYouTubeも観られなくて良いから、せめて電源を入れたら点いてくれ。

 

同様に「東京の雪」が商品だったら、店も客も大迷惑である。

入荷してしまったからには、店側もなんとか売り切ろうと試みる。「雪、発売!」のポップを貼り付け、道行く客に声を掛ける。「これは積もるかもしれないし、いや、全然積もらないことの方が多いんですけど」「でも積もることもあるんですよ」「大抵は形すら保たずに降りますけど」。

店員の必死の売り込みも虚しく、「積もる」という最低限の動作すら保証されていない雪は、在庫のほとんどが売れ残り、シーズンが過ぎてもバックヤードにわんさか積み上げられている。当然の機能が無い雪は、ジャンク品としての価値も付かない。店は、もう二度と東京の雪など入荷しないと誓うだろう。

 

吹かない風、流れない水は無くとも、積もらない雪は存在する。

「積もる保証」のない雪は、東京くらいではなかろうか。

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