12月12日(枕草子)

冬はつとめて。雪の降りたるは言うまでもないだろうが、あいにく早朝は夢の中であり、そもそも東京に雪は降らぬ。

霜が降り、雑草を白く装飾する様子は未だ見たことがなく、ざらついたアスファルトを踏み締めることくらいでしか、その存在を確かめる術はない。大人の背丈ほどもある氷柱(つらら)や、標識が埋もれるまで積もった雪の壁などは画面の中の世界であり、全然現実的でない。

 

関東平野から出たことがないので、15度を下回れば、それはもうすっかり冬である。11月下旬から電気ストーブを稼働させ、タイマー機能でいつ何時も部屋の温度を一定に保とうとしている。加えて、今年はネットで買った3層構造の極暖パーカーが届いたから、肌身離さず着続けたりもしている。とんだ温室生活である。

 

生まれが関係あるとは思わないが、あえて言うなら、私は生粋の夏生まれなので冬は好かない。暑いのは天井知らずにどこまででも耐えられるが、寒いのは少し針が触れるだけでギブアップしてしまう。

生き物には体温があり、生きている限りは身体を温め続けなければならない。一定温度より下回れば、待っているのは冷たい死である。沸騰した湯で茹でられても、直火で炙られても死んでしまうが、暑すぎて死んだ先にあるのもまた、冷たい死である。夏は死まで距離があるが、冬は限りなく死に近い。

 

極暖パーカーとネックウォーマーとで身を固め、コンビニまでの数十秒間、死と隣り合わせの人間たちと共に冬の外気を体験する。それだけで充分満足したから、エナジードリンクを1本買って帰宅する。

往復10分にも満たないが、他に該当する行為が無いので無理矢理これを「散歩」と呼ぶ。「散歩」もエナジードリンクも、無くとも別段生活に支障はないはずだが、「あるからこそ今の自分が保たれている」と理由付けすることで、誰ともわからぬ人からの許しを乞うている。

 

風呂から上がり、電気ストーブを消して部屋がひんやりし始めた頃、ロフトベッドに登れば、さっきまでの生温い空気が天井付近に横ばいになっていて、とても温かい。夏はひたすら暑いだけだったが、寒さとストーブとの絶妙なバランスで心地良い寝床が生まれるのだから、これはこれで冬の恩恵である。

冬の恩恵に包まりながらも、眠りに着く前に想うのはやはり、まだ見えぬ暖かな明け方。

 

春はあけぼの。

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