「サメデター(2021)」を観た【サメ映画レビュー】

※「プレデター」との繋がりやオマージュ等は一切ない。英題は「Jaws of Los Angeles(ロサンゼルスのサメ)」のため、邦題をつける際に個性を出そうとした結果の「サメデター」だと思われる。

 

様々な意味で、サメ映画らしからぬサメ映画である。サメ映画とは普通、サメをいかにモンスター化するか、というのが最重要項であり、製作陣はサメのビジュアルや人を襲う描写をインパクトあるものにすべく試行錯誤し、その辺りに最大限注力してしまったがために、一般的な映画で重要視されるストーリーやらセリフやらが希薄になってしまう、所謂「サメの神格化」、サメさえ良ければ全て良し的な風潮が、作品からもサメ映画ファンからも感じられる共通の雰囲気なのだが、この「サメデター」という映画は、サメについて、「モンスター化してやろう」という意識が、まるで無い。海にいる「完全自然のサメ」を描いた、非常に稀有なサメ映画である。サメに過度なキャラクター性を与えていない、という1点においては、サメ映画の原点「ジョーズ」に最も近いと言えるかもしれない。もっとも、最後まで観れば、「ジョーズ」と比較すら出来ないということが判明するのだけど。

 

サメにこれと言った特徴が無いのならストーリーが奇抜なのか、と言われれば、全然そんなことは無く、「ビーチでサメに襲われる被害が多発したからサメを退治しよう」という、サメ映画の基本型をそのまま書き出したような、シンプル過ぎる話である。しかし、この「被害が多発」という箇所がポイントで、なぜ複数のサメたちが突然、一斉に人を襲うようになったのか、これが、この映画全体を通してのテーマとなっている。

登場するサメは、例えば水族館で見るような、テレビ番組で見るような、私たちが「サメ」と聞いて想像するサメと同じ、また、自然界で実際に生きているだろうサメと同じ「サメ」を指す。サメの暴走は、サメだけが特別にモンスターだからではなく、生き物の突然変異のひとつとして、自然界で起こった限りなく現実的な現象として描かれている。足が生えたり、砂を泳いだり、喋ったり飛んだりするサメばかり観ているサメ映画ファン的には、まさしく目から鱗なのだが、よく考えてみれば、サメとは本来、単なる自然生物の一種に過ぎない。

 

サメが突然変異した原因として「悪党遺伝子」なる嘘くさい単語が登場したような気もするが、重要でないので割愛する。全編を通してサメを「自然」として描くことに相当な力を入れているらしく、実際に海中で撮られた野生のサメが泳ぐ資料映像を20分近く観させられた。さらに、全く無意味なイルカショーの場面や、不必要にズームされたカモメなど、とにかく人間以外の生き物をとことん大事にしているようである。ハッキリ言って、サメ映画としても、単なる映画としても、終始全くつまらないのだが、「サメは自然生物」という微々たる感激だけを抱えて堪え忍び、そうして90分堪えた結果が、夢オチ、であった。

映画の最初から最後まで、全部が主人公の夢であった。90分間ちまちまと積み上げてきた映像の全てを投げ飛ばして、終わった。90分間の堪え忍びが、本当に、ただ堪え忍んだだけ、ということになった。危うくモニターを叩き割りかけた。

サメに関わらず、パニック映画において、夢オチだけはあってはならない。非現実的なのは重々承知でも夢を見てしまう、そういう葛藤を抱えているのが視聴者であって、映画は、その夢を一時の現実として見せてくれるものであって欲しいと、切に願う。

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