傍聞きロック

東京メトロ銀座線の座席に沈み込み、寝不足の頭を抱えてガタガタ揺られていると、地下鉄特有の甲高い反響音に紛れて、微かに「シャンシャンシャン」という鈴の音が鳴っていることに気が付いた。寝惚け眼を薄く開き、さり気なく辺りを見渡すと、右隣、スーツ姿の女性が着けるイヤフォンから聴こえている。所謂、音漏れである。鈴の音は、ドラムのハイハットだろう、この規則的で軽快なリズムは、ロックだろうか。女性は、余程真剣に聴き入っているのか、スマホを弄るわけでもなく、目線を真っ直ぐ前に固定して、ただじっと座っていた。営業の外回り中か、はたまた仕事終わりか、スーツ姿の地下鉄で、端然とロックに浸る彼女の姿は、たまらなく粋に思われた。私は今、彼女から溢れるハイハットを、思いがけず共有しているのである。沈んでいた身体を起こし、彼女に倣って、前を見据えた。向かいの車窓には、トンネルの暗闇を背景に、真剣な面持ちで真っ直ぐ前を見つめる彼女と私が、並んで映っていた。そこには、確かな仲間意識があった。無性にロックが聴きたい。私がミュージシャンだったら、ギターを掻き鳴らしていたことだろう。世のミュージシャンたちは、こういう瞬間に曲を作っているのかも知れない。

「傍聞き(かたえぎき)」という言葉がある。傍らで、他人の会話にぼんやり聴き入る様子である。真正面から受け取る言葉よりも、「うっかり耳にした」偶然が、思いがけず自分に影響を及ぼすことがある。学校の授業内容よりも、カフェの隣の席の会話の方が興味深い、というのが、正しく「傍聞き」の効果である。人は、「偶然」に奇跡や運命を見出す習性がある。偶然の演出にすこぶる弱く、偶然の魅力に抗えず、その瞬間限りという安心感を持って、偶然の出来事に魅入るのである。

気付けば私は、微かに聴こえるハイハットに耳をそばだてていた。私たちは相変わらず、女性は(恐らく)ロックを、私はそこから溢れるハイハットだけを、微動だにせず聴き入っている。家に帰ったら、イヤフォンで大音量のロックを聴こう。ささやかな偶然を1つ乗せて、列車は東京の地下トンネルを走り抜けて行った。

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