知り合い未満

恒例「街中の書店巡り」の最中、ある大型書店にて、1冊の文庫本を手に取り、熱心に吟味している女性がいた。私が一度通りかかって、奥の書棚をのんびり物色し、一周して帰って来ても、まだ吟味していた。相当好きな作家なのか、あるいは偶然見つけて惹かれたのか。

女性が本をひっくり返す。背表紙のあらすじを読んでいる。数分して、またひっくり返す。表紙には、真っ黒の背景に、深紅の毒々しい筆文字で「どんどん橋、落ちた」とあった。

 

「あ!」と声が出そうだった。「どんどん橋、落ちた」は、私がこの世で一番好きな推理作家、綾辻行人の短編集である。いわゆる「犯人あてゲーム」が何本も収録されており、衝撃的なトリックに、これでもかと叩きのめされる「超難問問題集」だ。私は初めて読んだ際、「絶対に当ててやる」と図を書きながら読み解き、試行錯誤して、結局全然歯が立たなかった。

 

問題集としても楽しいし、もちろん小説としても面白い。思わず「それ面白いですよ」と言いかけて、飲み込んだ。

確かに面白いけれども、もし「初めての綾辻行人」だったとしたら。「どんどん橋」はゲーム的な要素が多いから、本格ミステリ小説としては少し物足りない。他の長編作品のように、複雑な、生々しい人間関係などは描かれていないのだ。

人間の猟奇的な心理、大掛かりなトリック、大どんでん返し。「初めて」には、やっぱりどうしても、デビュー作「十角館の殺人」が最適だと思う。

 

女性は綾辻行人のファンなのだろうか。十角館は、読みましたか?あのシリーズは歴史に残る傑作ですね。いつか全巻揃えて飾りたいです。どんどん橋は、それはもう素人には全く解けない問題ばかりで、でも解決編の呆気なさと言ったら、笑っちゃうほど痛快ですよ。

 

いろんなセリフが喉の辺りで、燃えては消え、燃えては消え。結局、何も言えずに女性の後ろを通り過ぎた。

当たり前だ。立ち読みしている人に突然話しかけるなど、完全に不審者である。私は不審者になりたく無いし、何より、女性のところに友達が駆け寄って来たのだ。女性は、ただ友達の用事が済むまで、何となく暇を潰していただけだったのだ。

 

勝手に興奮して、勝手に振られた感じである。

全く別の場所で出会っていたら、もしかしたら友達になっていたかもしれないですね、と、独り書店を出て、夕焼けの中、帰った。

 

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