「あたしンち」対ゾンビ

全くもって実用性のないネット記事を読み耽っていたら、「筆者は記事を書く時、いつも『あたしンち』を垂れ流しています」という一文があった。YouTubeでアニメ「あたしンち」が公開されているというのである。

 

 

「あたしンち」は不思議なもので、印象深いエピソードがあるわけでも無ければ、特別「好きな作品です」と宣言するほどでも無い。にも関わらず、短い人生の随所随所にひょっこり現れては、何故か毎回、変な具合にのめり込んでしまう。成人して初めて酒を知り、気付けば美味くもないのに毎日飲んでしまうような、どうしようもない感じである。

 

前回「あたしンち」にハマったのは中学生の頃。

書店の漫画コーナーに吊るされた「試し読み冊子」を片っ端から読み漁り、十何冊目かで手に取ったのが「新あたしンち」の試し読みであった。

ただ一家の日常が描かれているだけなのだが、しかし、どうしてか酷く感激し、何度も何度も同じ箇所を読み返して、耐えきれなくなった私は所持金で買えるだけの「新あたしンち」を抱えてレジに並んでいた。

 

毎度「あたしンち」を前にすると理性がガラガラ崩れてしまう。ほとんど中毒に近い症状が出る。

今日の「あたしンち」は立派なYouTubeチャンネルである。200話近くが無料公開されており、案の定私は、寝る数秒前まで「あたしンち」、起きて最初に「あたしンち」、食事中も作業中も、風呂以外はずっと「あたしンち」。一日の全てを「あたしンち」に捧げる生活になってしまった。

 

立花家の周りで事件は起きない。殺人も略奪も絶望も無い。常にゆるま湯のような「平凡かつ幸せな日常」である。

決して「あたしンち」に非がある訳ではない。全ては、用法用量を守らなかった私の責任である。私は、生きる上で必要な「刺激」を見失ってしまった。

 

 

どこまでも優しく、大らかな「あたしンち」のお母さんから、脱しなければならない。このままでは少しの刺激で打ちひしがれるような、貧弱な人間になってしまう。何かしらの「刺激」を摂取しなければ。

極端な思考回路が導き出した「『あたしンち』と対極の刺激」とは、つまり「ゾンビ」であった。

 

1990年代後半、けらえいこが連載の為にせっせと「あたしンち」を描いていた頃、カプコンではゾンビホラーゲーム「バイオハザード」が開発されていた。とても同じ世界線とは思えない。

 

 

ゲーム用モニターには「初代バイオハザード」のメニュー画面が表示されている。

「あたしンち」から逃れるべく、ゾンビ蔓延る地に足を踏み入れるが、果たして帰って来られるだろうか。

「あたしンち」の温室で蒸し殺されるのと、ゾンビに噛まれて死ぬのとでは、どちらが本望だろうかと、そんなことばかり考えながら、ゾンビ相手にナイフを振り回している。

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