11月23日(図書館)

約2年間の自粛生活を経て、最も変わったことといえば「図書館に行かなくなったこと」である。

以前までは「本は借りるもの」であり、毎週のように図書館へと出向いては、誰も手を付けないような太古のミステリーを書庫から出せと頼みこんだり、同じ作者の文庫本を一度に何冊も借りたり、とにかく読むものは全て図書館で調達していた。

このご時世、不特定多数が触る書籍を家に持ち帰るのは気が引けて、自然と足が遠のいてしまった。結果、書店で新品の本を大量に買い込む事態となり、机の上には読まねばならない本が常に5.6冊積み上がっている。

 

幾らか情勢が落ち着いたか、久しぶりに図書館へ行ってみようと思い立つ。未読の山から一冊選び、これを読み終えてくることにした。

 

 

書籍の閲覧席は以前と仕様が変わって完全予約制となっており、やり方が分からないから、とりあえず今日は自由席の小さな椅子に座ることにする。

祝日だからか、思ったよりも人が多い。細かい箇所に2年分の変化はあれど、大勢が口をつぐんで書架と向き合っている光景は、久々に見ると随分不思議な世界であり、懐かしい空気感でもある。

 

窓際の椅子に腰掛け、リュックから本を取り出す。家から持ち込んだのは、人生で初めての「ホラー小説」である。普段は推理小説ばかりを読んでいるから、全く未知で得体が知れない。

 

昼過ぎのゆるやかな日差しを浴びながらページを捲る。昼食を食べていないからか、内容の不気味さと共にやって来るのは、微かな空腹感と眠気である。3分の1ほど意識を飛ばしながら文字を追うから、文章を理解するまでに通常の倍、時間が掛かる。

読み始めて1時間も経つ頃には、文の咀嚼をほとんど夢の中でするために、内容の不自然さが「ホラーだから」なのか「夢と混同しているから」なのか、判別できなくなってしまった。

 

そもそもホラーとは、「現実では辻褄の合わない不自然さ」があるから恐怖を感じるのであって、つまりは「現実では起こり得ない」と決まっている(はず)。

しかしながら、夢の中では「なんでも起こり得る」。「辻褄の合わない恐ろしい事態」は夢の中ではあり得ることで、現実ではあり得ない。ホラーと夢とで起こり得て、じゃあ現実では絶対に起こり得ないと言い切れるのか?正体の分からない死体や、地中から溢れ出す人骨は夢か、現実か。どれが正解で、結局、実際、本当に起こり得ないこととは一体、どれなのか。

 

ホラーと夢と現実の境界を彷徨い歩き、終わりなき自問自答を繰り返すうち、はたと視線を上げれば、読み始めて3時間が経っていた。

周りの椅子に座っていたはずの人達はもう居らず、書架の間にも人影は見えない。窓際には、私ひとりだけが座っていた。

 

赤い夕日に侵食されていく床に、「もうこんな時間か」と立ち上がる。

「次はもっと早く来て、たくさん本を読もう」と、誰も居ない図書館を後にした。

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