1月19日(常識と地下鉄)

これはもう10年以上考え続けている事だけども、人間社会の "常識の範囲の輪っか" はいつになったら広がるのか、もしくは輪っかの境界線が無くなるのだろうか。

文明が発展してからというもの、何千人という常識から逸脱した人間が存在したはずだが、目立っているその瞬間は、その非凡人1人分の形にピッタリと "輪っか" が広がっているだけであって、その人が死んだらまた元通りになってしまうので、一向に "輪っかの形" は変っていないように思う。

例え "輪っか" が目立つ非凡人の為に広げられたとして、それが "輪っか内の人間" からの許容であるとは限らなかったのだろうか。

 


地下鉄のシートに埋もれていたら、いつの間にか熟睡していたようで、ハッと飛び起きた時には目的の駅を乗り過ごしていた。

仕方なく次の駅で降り、反対方向の電車を待っていると、電車は来たのに目の前のホームドアが開かない。反対方向の電車には向かい側のホームからしか乗れないらしい。

なんて面倒臭い造りなんだとボヤきながら階段を昇って降りて、ようやく反対方向の電車に乗り込み、発車したが、そうしたら全然目的の駅に辿り着かない。


全くもって信じられないが、そもそも最初の段階で乗り過ごしてなどいなかったのである。

熟睡の続きで未だ夢の中なのか、どっちを向いても同じような景色が続く地下鉄で、完全に迷子になってしまった。

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