曇天に傘を差す

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

サラサラと薄く降る雨に、これは、傘を差すべきかどうか。昔はよく、周りの人間を見渡して、それに合わせて決めていたなと思い出した。中学生までは眼鏡だったから、サラサラだろうがザアザアだろうが、レンズが濡れては厄介なので、常に差して歩きたい。しかし、自分1人だけが傘を差しているなどと言う目立ち方には、どうしても抵抗があったので、水滴で視界を滲ませながら、霧雨の中を歩いていた。

 

自分の成長を感じるのは、他人と自分とが、きちんと区別出来るようになった時である。周りと同じ様に行動しよう、周りに溶け込める様に、会話のペースを乱さない様に、それが重要な場面も勿論あるけれども、個人個人が別個体として確立されているという事実上、他人に合わせるのには限界がある。最初に意識したのは、"他人が知っていて自分は知らないこと" である。

特に小学生の子供なんて、より多くのものを知っている方が賢かったり、偉かったりする訳で、例えば、友達との会話で自分が観ていないテレビの話が出てきても、何となく「あ〜、それね〜」みたいな知ったかぶりをしてやり過ごす。私に限った話では無く、この位の子供の会話では、よくある事である。

"自分が知らないことは知らない" という、ごく当たり前の事にようやく気付けたのは中学生になってからで、他人が知っているから自分も知っているはず等、殆ど奇跡の様なことが起こらない限り、知らないことを恥じる必要は無いのである。気が付いてからは、会話の中で素直に「どう言うこと?」「見たことない」「教えて」と言える様になった。

自分と他人とが違う個体だと認識している人間は、どのくらい居るだろうか。自分が知らないことは知らないし、欲しているものも違うし、考え方感じ方も違うのである。

 

数年前からコンタクトだから、もうレンズが濡れる心配は無い。しかし、サラサラだろうがザアザアだろうが、雨に顔が濡れるのは許せない。

 

霧雨が舞う曇天に、わたしは1人傘を差す。

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