図書館パスポート

その図書館は、駅前の目抜通りと垂直に交わる長い一本道の先にあった。郊外の住宅街特有の、人通りが少ないにも関わらず無駄に幅の広く取られた道路の、両側には古い一軒家の塀が灰色の壁のようにどこまでも連なっている。人がいない。果てしなくみえるこの一本道に入ってから、私はまだ誰一人ともすれ違っていない。顔を上げると、正面の遥か遠くに黒々した山並みが横たわっている。いくら歩いても山並みは依然遠くにあって一向に進んでいる気がしないので、私はスマホの画面を点けっぱなしにして、Googleマップを何度も確認しながら歩いた。昼間に来て良かったと思った。知らない土地の誰もいない一本道など、夜中に迷い込んだら最後、発狂してしまうだろう。20分ほどひたすら真っ直ぐ歩き続けて、ようやくマップ上で目印にしていたコンビニが見えた。おにぎりを1個と、昨日から野菜を食べていないことに気付いて、パックの野菜ジュースを1本買った。図書館は、コンビニを出てすぐの場所にあった。

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木造の立派な建物である。最近できたばかりなのか、外壁も窓ガラスもすこぶる綺麗で、三角形の屋根も相まって、軽井沢の洒落た教会のようである。地元の暗いコンクリート箱のような図書館しか知らないので、若干のカルチャーショックを感じながら入館した。館内図によると、2階のロビーでなら飲食可能、とある。先に昼食がてらおにぎりを食べて、それから書架を見て回ろうか、と、館内図相手にウンウン考え込んでいると、貸し出しカウンターの女性がチラチラこちらを伺う視線を感じたので、私はそそくさと階段を上った。地元の人間しか来ないだろう施設で、入って早々館内図を凝視する私は、異質に見えるのかもしれない。2階に上がると、てっきり賑わっているかに思われたロビーには、誰の姿も無かった。椅子を2つ陣取って、コンビニの袋からおにぎりを取り出し、食べ終えて野菜ジュースを啜り始めても、依然人が来る気配がないので、今日はもう、ここにずっと居座って本を読んでいようか、とも考えたが、目の前の天井に防犯カメラがあったのでやめた。椅子には「長居厳禁」と貼り紙がある。

2階まで吹き抜けのメインホールには、背丈ほどの書架が整然と並んでいる。日本中どこの図書館も置いてある本は大体同じようなラインナップだろうが、しかし、ここでは私は「まだ1冊の本も借りたことのない他所の人間」である。いくら「地元の図書館では綾辻行人を全部読破しました」と主張しても、通用しない。異国民である。自国でいくら財を成しても、遥か異国の地では、正体の知れない只の外人である。私は異国の地を、ゆっくりと見物して回った。書架の間を抜けると、6畳ほどがガラスで囲われた学習室があった。中には、背もたれのある椅子と1人分の机のセットが何個も並んでいる。ここで読書するのが理想だが、ガラス戸には案の定「申込制」と貼り紙がされていた。私は他所の人間なので、図書館利用券が作れない、そして、図書館利用券を持たざる者は、学習室には申し込めない。図書館において、利用券とはパスポートである。異国民は引き返し、書架の間や窓際に置いてある野良のベンチの空きを探した。不法滞在者とは、こんな気分なのだろうか。なるべく集中出来そうな閉鎖的なベンチを探して、ようやく、館内の角につけて置かれたベンチに腰掛けた。角の壁に寄っかかって足を伸ばし、ジャンパーのポケットから文庫本を取り出す。図書館利用券が作れないこと、つまりは本を借りられないことを見越して、読む本は自宅から持参しておいた。異国の図書館巡りの目的は本を借りることではなく、「異国の図書館で読書すること」それ自体である。

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200ページほど読んだところで、ふと顔を上げると、窓の外がほんのり暗くなり始めていた。文庫本に栞を挟んでジャンパーに突っ込み、立ち上がる。外ではちょうど5時のチャイムが鳴り響いている。書架の間を通って出入り口を目指す途中、少しの期待が頭を掠めた。ここの図書館利用券を、うっかり作れたりはしないだろうか。200ページ分の居心地が、思いの外良かったのである。是非またここに来て、今度はあの学習室に1日篭って本を読み漁ってみたい。私は貸し出しカウンターの前で立ち止まって、本の分別作業をしている女性の背中に、小声で「あの」と声掛けた。ここには私を知る人間は1人もいないのだ、という孤独が、私の気を大きくさせていた。女性は驚いた顔でこちらを振り返った。私が館内図を凝視していた時にもカウンターに居た女性だった。「私、この街に住んでるわけじゃないんですが、利用券、作れたりしませんよね」。女性は掠れた声で「ああ」と言って、気まずそうに笑った。私は直ぐに「ですよね」と笑って、はい、すみません、なんて図々しいお願いを、いつか越してきますので、はい、そうしたら是非、利用券を、はい、作らせてくださいね、ええ、それでは。

パスポートはもらえなかった。

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仲春はゆっくりと通り過ぎる

寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。

脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほどの激しい頭痛に襲われ、10年振りに救急車を呼び、救急外来と町医者と総合病院と、合計3回も医者にかかって、結局、原因は分からずじまいである。医者は相変わらず「原因不明では対処出来ない」というスタンスで、診察室の椅子でうなだれる私の悲痛な訴えが聴こえているのか、いないのか、毎度、解熱剤だけ処方する。永遠に続くかに思われた高熱は、3回目の医者で処方された「特殊な解熱剤」によって解熱された。最初に熱を出した日から実に8日が経過していた。

今思い返してみても、まるで夢だったかのように記憶のはっきりしない1週間であった。最近会う人会う人は皆、決まってひと言目に「もう大丈夫なのか」「大変だったねえ」と心配してくださるのだが、なんせ原因不明という有り様なので、説明のしようがなくて困ってしまう。行く先々、各方面で不本意な苦笑いを振りまいている現状である。

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JR池袋駅の改札を出ると、地下街は帰路に着く人々でごった返していた。平日の18時なのだから無理もない。混雑の熱気に加えて、猛威を奮う花粉のために、マスクの下では常に鼻をすすり続けているので、息苦しい。私はパンパンに荷物の詰まったリュックを背負い、右手にはパスケース、左手には保冷バッグをぶら下げて、乗り換える路線を目指し歩いた。池袋からさらに1時間、ドアtoドアで片道合計2時間弱の恋路である。

私が高熱の夢に魘されている間、仕事終わりに車を飛ばして会いに来てくれた恋人に、ホワイトデーのチョコレートを渡しに行くのだ。高熱で潰れたバレンタインデーの、1ヶ月越しのリベンジである。保冷バッグには、昼間、ココアパウダーだらけになりながら作った生チョコレートが入っている。保冷バッグを水平に保ちながら持ち上げて改札を抜け、ちょうどホームにやって来た電車に乗り込んだ。

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目的の駅に着く頃にはすっかり夜であった。駅を出ると、職場から直接来たのか、スーツ姿の彼が立っていて、私に気付くと右手を挙げて笑った。2人で駅前のコンビニで夕飯を買い、今日1日の出来事などを報告しあいながら彼の家を目指した。私は既にマスクでは誤魔化しきれないほどに鼻水とくしゃみが止まらなくなっていたので、「家を出た時はここまで酷くなかった」「今日の花粉は悲惨だ」と喚いた。彼は自身も詰まり気味の鼻声で、この街は都心に比べてスギ花粉の飛散が多いのだという地理情報を教えてくれた。

帰宅して早速保冷バッグから箱を取り出すと、彼は恐る恐る包装紙を開けて、おお、と感嘆した。今食べるか、それとも夕飯後に食べるかと尋ねると、「食後に取っておく」と言うので、私はちゃんぽんを、彼はサラダ麺を食べて、その後にもう一度包装紙を開けた。彼は4個ある生チョコレートのうち1個を楊枝で取って口へ運ぶと、途端に美味しい美味しいと繰り返している。慌てて「かなり甘いから1日1個ずつ食べて」と言ったのだが、彼はあっという間に3個の生チョコを平らげ、残った1個はどうするのかと思えば、「取っておきます」と宣言して、大事そうに冷蔵庫へと閉まっていた。ペットボトルのジュースを飲みながら、私たちはお互いの明日の予定と、向こう1ヶ月の予定と、その先数年間の理想について語り合った。猫と犬を1匹ずつ飼いたい、という結論になった。依然として私の鼻からは鼻水が絶え間なく流れ出ているが、そんなことは些細な問題に過ぎないと思った。

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2024年書き初め

2023年の師走は、師走らしからぬほんわかした天気と、自身の孤独を裏切らない見事に空っぽなスケジュールが相まって、例年以上に怠惰な年末、毎日昼近くに起床し、家の前を通る保育園児たちの散歩を眺めながら熱い白湯を啜って、まるで隠居の有り様であったのだが、一日、一日と確かに迫り来る大晦日の足音に、流石にまずいと思ったのか、気づけば私は、あれほど敬遠していた散歩という行事を毎日遂行するようになっていた。行動の原動力は、いつだって焦燥感である。

歩いて20分ほどの距離にスターバックスがあって、散歩の目的地として数日に1回の頻度で通ううちに、クリームブリュレラテという素晴らしいメニューを発見した。溶かしたプリンとカフェラテをかき混ぜ、焦がしキャラメルをまぶしたような、贅沢なドリンクである。これと一緒に、チーズケーキを食べるのが、至福である。スタバのチーズケーキは、口当たりが優しく、ケーキらしからぬ控えめな甘さで、他のカフェチェーンのチーズケーキを食べ比べたりもしてみたが、まず、別格の美味しさである。数日に1回、クリームブリュレラテと、チーズケーキと、2つをセットで食べるようになって、来る大晦日前夜、風呂上がりの体重計に乗っかって、そうしたら、3キロ増えていた。

増量は、考えうる限り、隠居から最も遠い現象である、と、誰に聞かせるでもなくひとりごち、努めて澄まし顔を決め込んで、私は大晦日を迎えた。誰も知らないだろうが、大晦日の私は、ここ1年の間で最も質量ある身体であった。

 

年明けて、2024年元旦、布団の上で起きた時から、変な怠さがある。食事をして、さあ正月らしくダラダラしよう、と意気込んだのだが、怠さはいよいよ明確な不快感となって膨れ上がり、頭痛、寒気、発熱、日が暮れる頃には、体温は39度を突破した。インフルエンザである、と、後々に判明する。それから3日間は、40度の熱に魘されながら、ひたすら床に伏せった生活である。隠居に、戻ってしまった、いや、隠居より酷い、病人である。やっと熱が下がり始め、布団の上でなら何とか起き上がって食事が出来るようになって、実に3日振りの風呂に入り、そうしたら、体重、3キロ減っていた。自身の単純過ぎる構造に、思わず笑ってしまった。身体とは、そんなものであった。決まった振り幅が用意されていて、その間を右に、左に、針が振れて、往復しながら大体の平均を保っている。これが右に振り切れたり、左に振り切れたり、あるいは不意にカチリと止まったり、そうなった瞬間に息絶えるのだろう、今年は、出来れば振り幅の少ない日々でありますように。あけましておめでとうございました。

赤鼻のトナカイ

居酒屋のカウンターに敷かれた敷紙の隅に、筆文字で小さく、師走、と書かれていたので、来月の名前を書くなんて、ここのご主人はさぞかし気が早い人なのだろうなあ、と、ビールに浮かされた頭でぼんやり思っていたのだが、素面になった今思い返せば、今日は事実、12月、師走であり、ご主人は何ひとつ間違ってはいない。暖冬のためにいつまでも秋気分に浸っていたからか、はたまた数年ぶりの生ビールで脳神経が滅しちゃったのか、始まって2週間以上が経過しているにも関わらず、未だ全然「12月」という現実を自覚出来ていなかった。走るべきなのは師ではなく、私自身である。空腹にビールはよそうと思った。

 

金曜日の昼間。平日にも関わらず、駅前もショッピングモールも、何処もかしこも人が多い。最も多いのは子ども連れで、あとは夫婦、カップル、高校生くらいの若い集団もある。普段は右往左往好き勝手に歩ける場所が、冬休みに入った途端にこの有り様である。無論、私がこれまでのびのび歩けていたのは、ここに居る彼らが勤勉に通勤通学していて、その間、私だけが悠々遊び歩いていたからであり、彼らが亀でありアリであるならば、私は兎でありキリギリスであると言える。冬休みの間だけでも、私の方が遠慮して家に篭るべきなのだろうが、どうしても、遊んでいた場所を奪われ、隅に追いやられたような、子供じみた悔しさがある。生活に対して、常に根拠のない後ろめたさを感じているのは、1年前と変わらない。マフラーに鼻を埋めて、そそくさと帰路に着いた。

1年前と違うことと言えば、初対面の人に10代だと間違われなくなったことくらいである。些細なことだが、しかし、これは歴とした進化であるように思う。去年までは、18か19歳、場合によっては「高校生ですか」と真顔で聞かれることも多々あって、その度に私は苦笑いしながら自己紹介していたのだが、今では、21か22歳、最も遠くても大学生で、流石に10代とは言われなくなった。つまり、私はこの1年間で、一般的な人間2、3歳分の成長を遂げたと言える。仮に見た目だけだったとしても、第三者的評価にこれだけ明確な変化があるわけだから、我ながら大した進化である。しかし実際、私は今年24歳、来年には25歳になるわけで、この調子ではいつまで経っても外見と実年齢が追いかけっこしているだけのような気もする。来年は、1年間で3、4歳分の成長を目標としようか。

 

人の多いのは繁華街だけで、住宅街まで歩いて来ると、灰色の道を冷たい風が吹き抜けるだけで、誰も居ない。保育園の前を通ると、開け放たれた窓から、園児たちが合唱する甲高い声が聴こえてきた。知らないクリスマスソングである。メロディがところどころ「赤鼻のトナカイ」に似ているような気もする。合唱が遠くに聴こえなくなるまで耳をそば立てて、出来るだけゆっくり歩いてみたが、結局、曲の題名は分からなかった。私はマフラーの中で、自分の耳にすら届かないほど微かに「赤鼻のトナカイ」を口ずさんだ。今の少年少女たちが歌うクリスマスソングを、私はひとつも知らないのかも知れないし、私が口ずさむクリスマスソングを、彼らはひとつも知らないのかも知れない。私はもう、ほとんどの部分が少女ではなくなってしまった。

銀杏読書人

上野駅中央口を出ると、空はすっかり夕方の面持ちで、駅前の歩道は、夜の気配に浮き足立つ人々で大変な混雑具合である。スウェットの袖を捲り、腕時計を見ると、16:30、約束の時間までは30分以上の余裕があった。真昼間なら、例えばアメ横通りをぶらつくとか、もしくは、駅の直ぐ目の前にヤマシロヤという5階建ての玩具屋があるのだが、それを上から下まで見物して周るだとか、いっそのこと駅から離れずに、近くの喫茶店かどこかで時間を潰してしまうとか、色々思い付きはするものの、しかし今日の私は、ここに辿り着くまでに乗ってきた山手線の観光地然とした賑わいに、ほとほと疲れ果てていて、今から更に夜の上野の乱痴気騒ぎを相手に出来るとは、到底思えなかった。一刻も早く、駅前の喧騒から脱出したい。足は自然と、木々が立ち並ぶ方へと向かっていた。無論、上野公園である。

 

動物園があったり博物館があったり、馬鹿にデカいクジラのオブジェがあったり、神社、美術館、西郷隆盛、他、立派な施設が点在しているが、全部が木々に隠れて散らばっているために、上野公園は観光地というより、単にだだっ広い木立である。一見すると、何も無い。何も無い木立を歩いて感動する趣味が無いために、これまでほとんど無視して通り過ぎてきたのだが、今日は違う。ここで30分の時間を潰すという明確な用事があり、だがそれ以前に、刮目せざるを得ない事態に直面した。銀杏臭くて敵わないのである。

立ち並ぶ木という木が全部銀杏であるかのように思われる。銀杏を好きとも嫌いとも思ったことは無いが、これだけ多量の銀杏臭を吸い込んでしまえば、胃に穴が空きそうな感じがする。私は引き攣った顔を悟られぬよう、斜め下を睨みつけながら足早に歩いて、時たますれ違う人々の顔を横目で盗み見てみるが、しかし、皆一様に平常心、連れと笑顔で会話しているか、中にはベンチでくつろぎ、読書している人なんかもあったりして、どういう訳だか、私だけが銀杏の妖気に当てられているらしかった。私は、つい数分前に駅前の喧騒から逃げ出した時とまるで同じ格好で、中央の広場を目指し足早に歩いた。

 

噴水がある。高さ5メートル近く噴き上がっている。流石に、銀杏の木立よりは人が多く集まっている様子である。噴水を中心に輪を描く低いベンチには、家族や恋人同士のほか、1人で座る人もちらほら居て、私も空いている場所に腰掛けて、ようやくひとつ深呼吸した。駅前から逃げ、銀杏から逃げ、やっとまともな安息地に辿り着いた。

噴水は、中央の最も高い水柱と、その周りに少し低い水柱が何本もあって、それぞれが最大限に噴き上がれば、きちんと「山」の形になるよう設計されている。何の変哲もない水がただ噴き上がっているだけなのだが、それだけで広場の中心として君臨し、自然と人が集まるというのは、面白い現象である。小学校の国語の教科書に、海外の噴水と日本の噴水のニュアンスの違いについて書かれた随筆が載っていた気がするが、果たして誰の著書だったか。海外の数十メートルの高さを誇る噴水は人々を圧巻する芸術であるが、比べて、日本の噴水は低くてショボくて、所詮は海外の真似事に過ぎない、というような批評だったが、実際に対面してみれば、ただ大きいだけの木が神秘性を持つのと同じで、それ自体の高さ大きさに関係無く、水が噴き上がっていたら大抵の人間は集まり、憩い、満足出来そうなものに思われる。5メートルの噴水を見ながら、嗚呼50メートルの噴水と比べたら心許ない、などとは思わないだろう。大量の水が噴き上がっていれば、それだけで納得しかねないのが人の性である。

 

結局、20分近くを噴水の元で過ごし、私はまた覚悟を決めて、銀杏の木立へと踏み入った。待ち合わせは、駅前のレストランである。むせ返るような銀杏臭を掻き分けながら、路肩のベンチに、行きに見かけた読書の人がまだ座り込んでいるのを見つけて、思わず白目を剥きそうになった。

例えば30坪ほどの小さな公園なら、偶然居合わせた全員が一緒に遊ぶこともあるかも知れないが、この銀杏読書の人と、あっちの噴水広場の人たちとは、もしかしたら永遠に分かり合えないのではないかしら。都会は、広くて敵わない。私は、ベンチの銀杏読書人を見捨てるような気持ちで通り過ぎた。待ち合わせまでは、もう10分を切っていた。時に噴水広場人は、夜の駅前喧騒人に会いに行かなくてはならないのである。

リコリスを飲み込む

渋谷に、リコリスを買いに来た。リコリスというのは、彼岸花の学名(Lycoris)じゃなく、スペインカンゾウというマメ科の植物である。こちらは英語名がリコリス(Liquorice, Licorice)であり、日本語で発音するとどちらも同じく「リコリス」だが、それぞれ全く別物の植物を指す。スペイン甘草、つまり薬草である。いかにも薬草然とした見た目の植物で、オリーブに似た葉がシダのように整列して生えている。このリコリスという薬草を煮詰めて調理したお菓子に、リコリスキャンディというのがある。これを買いに、わざわざ渋谷まで来たわけである。

映画を特集した雑誌のページの隅に、「海外の友人曰く、映画のお供にはリコリスキャンディ」という紹介文と共に、真っ黒なチューイングガムのような写真が載っていて、それを見たのはもう3ヶ月以上も前のことだったが、今日ふと思い出して、渋谷の北欧家具店までやって来た。

入ってすぐの食料品の棚に、それはあった。くすんだ紫色のビニール袋に、炭のように黒いチューイングガムが、何十個と詰め込まれている。チューイングガム、というのは見た目だけの印象で、実際に袋の上から触ってみると、グミのような弾力があって、表面が濡れているためか、袋の中でヌルヌル滑ってしまう。色も相待って、茎わかめをこねて丸めたような感じである。2袋、買った。元々持っていたコンビニのビニール袋に押し込んで、店を出た。

 

渋谷は何処もかしこも大混雑である。つい先日、事故だの火事だのがあったとは到底信じ難い盛況ぶりである。仮に、私の家が全焼したとして、それは渋谷のビルが焼けるのとは全然違う世界の出来事のように感じる。私の家が全焼すれば、私個人の苦労は相当大変なものだろうが、世間から見れば、新聞にも載らぬ些細なハプニングに過ぎない。対して、渋谷のビルが焼ければ、それがどれほど小さなボヤだったとて、速報ものの大事件である。そして、私の家の全焼は、ご近所の世間話にその後数十年登場し続けるだろうが、渋谷の火事は、誰の記憶からも数週間で忘れ去られるだろう。そう考えてみると、渋谷は酷く孤独な街に見える。

 

左手にぶら下げたビニール袋に、2袋分のリコリスキャンディの重さを感じながら、つい1時間前に出された問題について考えていた。

「本当に愛する人を或る拍子に殺害してしまったとして、どんな感情を抱きますか」

芸能事務所のオーディション面接であった。課題のセリフにおいて、私の演技があまりにも芝居臭いので、痺れを切らした審査員が、役柄ではなく、私個人の感情を問うてきたのである。「この役と同じように、本当に愛する人を或る拍子に殺害してしまったとして、あなた自身はどんな感情を抱きますか」。格好付けてもしょうがないので、私は至極率直に自分の感情を伝えたのだが、どうやら全く想定外の回答だったらしく、審査員はあからさまに動揺して、「サイコパスに思える」「厨二病的思考だ」等々、散々失礼な見解を述べた後に、小さく、「演技以前の問題だ」と溢した。私も、流石に良い気はしなかったので、ほとんど喧嘩腰の言い合いをして、最後は逃げるように出て来てしまった。しかし、何度検証してみても先の自分の回答に嘘偽りはなく、かと言って、大の大人が面接から逃げ出して、その足でリコリスキャンディを2袋も買っているという現状は、厨二病だと認定されても仕方がないようにも思える。あのオーディションは、落ちただろう。

 

家に帰って、早速リコリスキャンディの袋を開けた。瞬間、目が沁みるような強烈な薬草の匂いが立ち込め、私はすぐに、今日の全部が失敗であったと分かった。やけくそで、1粒引きずり出し、口に放り込むと、グチャ、とひと噛み、口の中いっぱいに、ハーブのような、パクチーのような、プロポリスのような、これまでの人生で食べてきた全ての薬草を煮詰めたような過激な香りが広がって、即座にティッシュを1枚、奪い取るように箱から抜き取って、そこに一切を吐き出した。ティッシュには、およそ食べ物とは思えない、粘性ある暗黒物質が散らばっていて、私は気が遠くなる思いがした。これを口の中でクチャクチャやりながら映画を観るような人間とは、到底分かり合えないと思った。机の上には、今もなお、開封済みのと未開封のと、2袋のリコリスキャンディが残っている。少しだけ、泣いた。世界中の誰とも分かり合えないような気さえした。

「本当に愛する人を或る拍子に殺害してしまったとして、どんな感情を抱きますか」

「私は、愛する人の、まだ体温の残る生ぬるい身体を抱き寄せて、己の耐え難いほどの幸福に打ちひしがれるでしょう。愛する人が最期に見た光景が私であった、という事実に。愛する人が数十年の歳月をかけて積み上げてきた生活の軌跡を、私という拙い人間がこの手で断ち切ったのだ、という現実に。私は、あまりの興奮と感動に打ちひしがれて、その幸福を噛み締めながら、愛する人と共に眠るでしょう。恋愛において、それ以上に幸福な終わりがあるとは、私には到底思えないのです」

新涼の新宿、ダーツバー

友人たちと一緒に、夜の新宿を歩いていた。普段なら酔っ払い共でごった返すだろう東口の通りは、日曜日の、さらには終電まで残り2時間弱という時間帯だからか、意識のハッキリした大人がちらほら歩いているだけという静けさで、拍子抜けである。私たちの目的は、ダーツバーであった。友人の知り合いが働いているから、安く遊べるのだと言う。私は、例えばダーツバーで夜更かしをするような青春の遊びを知らない、という話をつい先日書いたばかりというのもあり、また、いつか夜遊びをするとしたら、それは歳下の後輩たちに混ぜてもらってだろうと鷹を括っていた手前、内々の興奮を抑えられずにいた。今夜の仲間は、奇しくも全員、同級生である。

 

エレベーターを降りると、想像以上に高級なダイニングバーが広がっていた。暖色の明かりがゆるく落ちる店内には、壁一面にダーツの的がズラッと並び、それと平行して、四人掛けのテーブルセットが一列に、これまた奥までズラッと並んでいる。広い。テーブルからダーツの的まで2メートル近く離れているから、ホール全体を見渡すと、体育館のような印象がある。奥と手前のテーブルにカップルが1組ずついるだけで、店内には落ち着いた空気が流れていた。私たちは中央あたりのテーブルに通された。

目的は食事である。近場で安く食事出来る場所が偶然にもダーツバーであった、というだけで、実際、ダーツをやりに来たわけでは無いのである。背後で鳴り響く、矢を抜いてリセットする際のグネグネした効果音を聴きながら、山盛りのガーリックライスを食べた。稀にカップルが投げている様子を眺めてみるが、あの小さな的に当てるには相当練習がいるようで、私には到底真似出来ないと思う。友人に、「ダーツは賭けて遊ぶものなのか」と尋ねると、意外にも、答えは否、であった。ポーカーや麻雀やビリヤードなら或いは賭けるかも知れないが、ダーツで賭けるとしたら酒くらいだと言う。これだけ怪しげな音と演出があって、不自然なほどの健全さである。この日、初めてカルーアミルクを飲んだ。

 

友人たちと別れ、終電を乗り継ぎ、帰路につく。新宿と違って、こちらはいつも通り、生き物の気配さえ無い夜道である。微かにアルコールを含む自分の息遣いと、住宅街にこだまする、出どころの分からない鈴虫の音に耳を傾けて、歩いた。どこかの家の入浴剤の匂いが混ざった、ささやかだが確かに冷たさを含む風が絶え間なく首元を撫ぜて、私は青春の亡霊が消えて行くのを感じた。

省察日記

人生の先輩に、「天気の暑い寒いを引きこもりの原因にしてはならぬ」と教わったのだが、昨今の東京は、およそ暑い寒いの範疇に収まらない、並々ならぬ厳しさがあるようで、少なくとも私個人の見解では、日中に外で活動するのは不可能だと考える。しかし、ここ数日の私の年齢に似合わぬ隠居具合には目に余るものがある、というのも、また自覚すべき事実に違いないので、今日、私は財布と携帯だけを持って、遂に玄関を開け放った。いつもの事ながら、夜である。起床が15時近いので仕方がない。駅前でバスに乗り込み、繁華街の明かりの中を揺られて、ショッピングモールまでやって来た。20時過ぎ、ほとんどの店舗が営業を終えている中、唯一明かりの点いている映画館でレイトショーのチケットを購入し、その足でシアターへと直行して、映画を観終える頃には、時刻は22時半を回っていた。

夜中である。数少ない客たちと共にシアターから追い出されて、ふと、トイレへ立ち寄った。用を済ませて個室から出ると、誰もいない。振り返ってみると、整然と並ぶ個室のドアは全て開いており、私が流した水の音だけがサラサラ響いている。夜、映画館、誰もいない女子トイレ。洗面台で手を洗って、顔を上げると、鏡に私の顔が映った。目の覚めるような真紅の壁面を背景に、化粧すらしていない、とぼけた私が立っている。部屋に閉じこもっている時と、何ら変わらない格好である。自室のフローリングで寝転んでいたところを突然攫われて来たような、素っ頓狂な顔をしている。遠くから、まだ上映中なのだろう映画の爆撃音が微かに聴こえてきて、それも相まって、夜、映画館、誰もいない女子トイレ、独り。酷く異質な光景であった。ここに居るはずのない私が、何故だかこの場に立っている。白昼夢のような強烈な離人感に、視界が遠ざかっていくような感覚に陥った。早急に、家に帰るべきだろう。

恐らく、時間を間違えたのだ。先の先輩は、私に「文明ある社会で生きる人間なら、天気に構わず己の予定を遂行せよ」と説教したのであって、何時でも良い、なりふり構わずとにかく外出しろ、などという乱暴な意味合いでは無いのである。社会の中で生活をする、その延長として外出せよ、という事であって、夜中の映画館のトイレで白昼夢に酔っている場合では無い。明日、もう一度、今度は昼間に出掛けよう。今日のうちに予定を立てて、そう、やはり、予定は前日までに決定させるべきである。それを着実に遂行していくことが生活であり、私がすべき最初の、最低限の課題であると思われる。

24回目の八月

思い返してみれば、はじめから妙な夏であった。まだ7月であるにも関わらず、都内の最高気温は驚異の35度超えを記録し、このまま気温が上がり続ければ8月に入る頃には文字通り人が蒸発するのではないかと懸念され、冷房の設定温度は日に日に下がり、それに反比例するように上がる電気料金、連日鳴り響く熱中症警戒アラート、列島中に嘆息立ち込める中、私も例に漏れずして、熱で煮えたぎる身体を振り絞り、振り絞り、なんとか生活していたのだが、ある日、どう努力しても一向に身体の熱が冷めない。脇に体温計を差し込むと、39度と出た。

人生に一度、出るか出ないかという高熱である。慌てて医者へと駆け込み、あらゆるウイルスの検査をするが、ことごとく陰性である。ウイルス性の病気じゃない、と分かった途端、老齢の医者はすこぶる上機嫌になって、「夏風邪でしょうね。長引くかと思います」、あっけらかんと言う。冗談じゃない、私は躍起になって、「しかし、39度なんていう数字は異常でしょう」と訴えるが、医者は喉奥で低く笑うばかりで、取り合わない。解熱剤だけ処方された。

 

原因不明の体調不良に接する時、医者ほど冷淡な生き物はいない。苦痛の原因が見当たらなければ、すなわち苦痛が存在しないのと同義であるらしく、私が実際どれだけの苦痛を感じているか、という訴えに同情することはない。原因が分からない限りは、私の苦痛も、虚言と切り捨ててしまって問題ないらしい。医者は診察する仕事なのだから、さらに同情まで求めるとは酷な話だ、というのは承知の上で、最低限、神妙な顔付きくらいはして欲しいものである。私は過去、歯医者の診察台に寝転び、顎関節症で3センチ程度しか開かない口を、痛みを我慢してめいいっぱい開き、それを見た医者が、「もうちょっと開けられますか?嗚呼これしか開かないんでしたっけ」と鼻で笑ったことを、未だ恨んでいる。

 

ほとんど寝たきりの生活が始まった。高熱は3日以上下がらず、身体を真っ赤にして寝込む私の姿は確かに病人であったが、食事と睡眠のふたつだけに集中する生活は、不思議と健康そのものであった。深夜型だった生活サイクルは自然と朝型へ移行し、努力せずとも朝10時前には起きられるようになった。幸か不幸か!健康的な生活を手に入れたわけだが、肝心の私自身は変わらず病人であり、原因不明の熱に浮かされながら、まるで実感のない健康生活を他人事のように眺めて過ごした。大海原の真ん中で、酷い船酔いに耐えながら美しい夕焼けを見ているような、24回目の八月が終わった。

方位磁針を回す

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

「良質」の対義語は「悪質」と決まっているが、単純に質の良さを表す良質と違って、悪質には、あたかもこちらに対して攻撃性があるかのように聴こえがちである。良質な水、と言われれば、富士の雪解けか何か、透き通った天然水を想像するが、逆に、悪質な水、と言われると、口に含んだ瞬間に嘔吐を催すような劇物かに思われる。実際のところは雑居ビルの貯水槽に沈殿する水程度であったとしても、ひとまとめに悪質、と断言してしまったばかりに、あたかも健康被害に直結するような、意に反した攻撃性を有してしまう。だからと言って、「悪質じゃないのなら、やっぱり良質な水なんですか」と迫られれば、屋上へ駆け上がり、貯水槽の蓋を開けてみると、あるのは薄暗いタンクに澱む底の見えない水道水であり、やはりどう考えても、良質とは言えない代物なのである。

 

私は睡眠の質が悪いので、「良質な睡眠を取れていますか」という質問には即座に否定しているのだが、しかし「悪質な睡眠ですか」と聞かれたら、それも否定せざるを得ない。寝付きに1時間を要し、無事就寝しても3時間後には必ず目覚め、その後は10時間近く眠り続ける。毎日きっかり7時間睡眠する人と比較すれば一目瞭然の質の悪さだが、軽い睡眠導入剤を飲めば解決する程度であり、なんと言っても、睡眠は私に直接害を与えていない。私は比較的健康体であり、睡眠のせいで発生している障害は無いと言っても良い。もちろん、睡眠による利益の実感も無いから、故に「良質」とは断言しかねるが、「悪質」ではやはり大袈裟過ぎるので、強いて言えば「普通、まあまあ」、結局は、その辺りの曖昧な表現に落ち着くことになる。

例えば「合格、不合格」のように、数値的に明確な判断基準があれば、簡単に評価を二極化出来るだろうが、良質と悪質、善と悪、美味しいと不味い、個人それぞれの感覚に基づいた物事を、キッパリ分類するのは難しい。大抵の物事には判断基準など存在せず、何とも言い切れない、曖昧な評価で精一杯なことの方が多いようである。昨今話題のジブリ映画も、私は「面白かった」とは断言出来ず、しかし、決して「面白くなかった」わけでは無く、そのあやふやな感想を説明するために、未鑑賞の母相手に20分近く演説したのだが、全部を聴き終えた母が、「それで結局、良かったの、悪かったの」と質問しても、私は首を傾げて唸るより他になかった。

 

我々の会話の大抵のテーマは、キッパリ断言出来ない曖昧な感情についてである。良かった、悪かった、嬉しかった、悲しかった、断言してしまえばそれで終わりだが、言う方も聴く方も、それでは気が済まないから、経緯を詳細に説明するわけであり、手を替え品を替え、何とか自分の感情に近いものを相手に伝えようと努力する。堂々と一言で言い切ってしまえるのなら簡単だろうが、特段良くも悪くも無い平坦な生活を送る私は、その曖昧な感情について考えるために、恐らく、こうして長々執筆している。全てについて的確に表現できる日本語があったとしたら、また、それを逐一言い当てて満足できる程の語彙力があったとしたら、私は何かについて文章を書こうとすら思わなかったのかも知れない。

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