駄文
秋は天高く、浮かぶはイワシ雲、ウロコ雲、水蒸気質の巨大な魚が、遠くにゆったり横たわり、偶然発見した人は、まるで生まれて初めて空を見上げたように、広大なる天の青さに陶酔する。 無論、実際空の高さは年中同じで、ただ雲が夏より高い位置に発生するか…
昨年末から約1年間使ってきた名刺の在庫が切れたので、発注することにした。せっかくならデザインを一新して、2023年、気持ち新たに自己紹介したいところである。前回と同じペースで配布すると仮定して、来年いっぱいまで使うだろう、来年は、どんな心意気で…
東京メトロ銀座線の座席に沈み込み、寝不足の頭を抱えてガタガタ揺られていると、地下鉄特有の甲高い反響音に紛れて、微かに「シャンシャンシャン」という鈴の音が鳴っていることに気が付いた。寝惚け眼を薄く開き、さり気なく辺りを見渡すと、右隣、スーツ…
私の通う小学校には、4年生から参加必須になる放課後活動に、委員会とクラブがあった。どちらも週に1回、4年生から6年生までが同じ教室に集まって、定例会議やクラブ活動に勤しむのである。と言っても、所詮は小学生だから、委員会には特別な責任も課題も無…
今夏、稀にみる大規模な断捨離を終えて、誓った、「二度と書籍は購入しない」と。気を抜くと毎月5冊近くの漫画や小説を買ってきては、もちろん読み切れるはずも無く、翌月、また新たに5冊買ってくる。買った本を読まずにただ放っておくことを「積読」と呼ぶ…
16時半、洗濯物を取り込むためにベランダへと続く窓を開けると、途端に涼やかな風が吹き込んできた。つい先週までは、外に顔を突っ込むだけで、植物園の温室かのような青々しい息苦しさがあったが、ようやく爽やかな季節である。1匹の黒アゲハ蝶が、夕方の霞…
人が何をもって他人を「人」として認識しているのか、というのは興味深い問題である。何を持って、とは、視覚的な認識ではなく、感受性の意味合いであり、ここで言う「人」とは見た目の話じゃなく、「人と会った」「人と話した」と表現する際の、抽象的な「…
パソコンの画面が瞬いている。いや、私の不調でそう見えているという話ではなく、事実、画面が点いたり消えたりを繰り返している。朝、ノートパソコンの電源ボタンを押し、パスワードを入力して、デスクトップ画面が映された。ブラウザアプリを起動するため…
夏になると毎日のように出会し、闘ってきた蚊の姿を、今年は見かけない。昨日の深夜、遂に第1匹目と相見えたが、なんだか具合悪そうで、ひょろひょろ飛んで私の腹に止まったので、思い切り叩き落としてさしあげた。今年は例年以上の酷暑だから、蚊さえ少ない…
漫画や雑誌を、読む用、観賞用、保存用、同じものを何冊も買うというのは古今東西あらゆる愛好家達がやってきたことだが、小説は聞かない。ひとつの小説作品を、例えば単行本は持っていても、文庫化されたならそれも欲しい、というのはあるかも知れないし、…
セミが荒れ狂う時期である。部屋の窓に、1日2回はセミがぶつかる。カーテンを開ける習慣が無いから、外から見ればガラスというより「壁」だろうに、しかし、どういうわけだか毎度ピンポイントで窓に突っ込む。網戸側にぶつかると、絶望的である。網目の繊維…
幼少時代、誰もが一度は思い描いたであろう景色を、私も見ていた。エスカレーターの階段は、地面の中で逆さになってガラガラ回り、床屋のサインポールは地下数百メートルまで根を生やし、無限に上へと伸び続けていた。物理的な可能不可能を知るより以前、我…
日記をつける習慣がない。特に学生時代は「学習習慣の一つとして」取り入れようとしたり、無理やりさせられたこともあるにはあったが、例えば夏休みに課せられる「一日一行」の日記でさえ、日ごと埋められず、前回書いてから数日放っておいて、ようやくハッ…
家電量販店というのは、年中同じ商品が同じように並べられているのだが、しかし、いつ行っても何だか楽しい。仮に財布の中が小銭だけだったとしても、ダイソンから最新ゲーム機から超高級オーディオまで眺め放題である。手に取って、動かして、それらしく吟…
良い入道雲を見た。触れば弾力がありそうなほど密度が高く、石鹸のCMで見るような山盛りのホイップクリームが、正午のきつい陽の光を反射して、真白く光っていた。他の雲ひとつ無い青空に、堂々と巨大にそびえ立ち、住宅街の植木越しに見ると、深緑の葉のフ…
唐突に、カスタードクリームをたらふく食べたい、という時、シュークリームが最適である。 シュークリームとは、私が思うに、生地を「シュー」と名付けたことによって、いかにも生地主体の食べ物かのように認知されているが、シュークリームの本質はクリーム…
地下鉄の改札を抜けて階段を上り、地上へ出ると、「明治屋」と看板を掲げた石造りのビルにぶち当たった。都心も都心、巨大なオフィスビルが整然と並ぶ、銀座の街である。どのビルも1階は店舗になっているが、その上は全部、どこかしらの会社のオフィスが詰め…
暑い、非常に暑い。周知の事実なのだから、わざわざ書き記す必要など無いだろうに、にしたって、暑い。いきなり夏本番である。四季が無い。梅雨・夏・冬しか無いようである。大雨、酷暑、極寒、それぞれの間にグラデーションがまるで無い。揺るぎない個体を…
夢の中で「ここは夢だ」とハッキリ認識できる夢がある。明晰夢(めいせきむ)と呼ばれる。 笑ってしまうほど鮮明な明晰夢を見た。突然、小学校のトイレの前に立っており、入ってみると、中は音楽準備室であった。「いかにも夢っぽい脈絡のなさ!」と独りゲラ…
深夜零時近くになって、急にアイスが食べたいと思った。既にどっぷり梅雨入りしたらしいが、偶然にも雨の降らない夜であった。鍵と財布だけを引っ提げて、夜の街へと繰り出した。 深夜の散歩は数ヶ月ぶりである。若干湿った風が静かに吹いている。前にも後ろ…
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、御釈迦様が蓮池のまわりをぶらぶら歩くシーンから始まる。学生時代に朗読の課題で何度も読まされたので、よく印象に残っている。 日本庭園の真ん中に、つるんと丸みを帯びた石が円形に並べられ、その中は冷たく澄んだ淡水がたっ…
ミナミコアリクイである。体長1メートル弱、長い尻尾まで含めると1.5メートルはありそうである。全身をクリーム色のパサついた毛で覆い、背中から肩にかけては黒い毛が模様を作っており、伸び切ったタンクトップを着ているように見える。ずんぐりした体から…
本を読んでいると、左手の甲に、黒いゴミが付いていた。特別意識せずに払い落とそうとして、ギョッとした。蟻であった。5ミリ程度の小さな蟻が、真っ黒な体をテラテラ光らせて、手の甲を横断していた。 ゴキブリでも蜘蛛でも無く、蟻である。家の中で蟻を目…
驚くなかれ、私は富士山をみたことがない。正確には、関東育ちだから視界の遠くに見切れることくらいはあっただろうが、「富士をみる」という行為を意識してやったことがない。富士の麓に旅行した記憶もなく、また日本一高い山について日常的に思い馳せる習…
ふ菓子ばかり食べている。黒糖がまぶされた定番のやつである。大きい袋に、10センチ大に切られたふ菓子が20個ほど詰め込まれている。夕方のスーパーで買ってきて、おやつに食べて、「残りは明日食べよう」と冷蔵庫に入れ、しかし夕飯後、またモリモリ食べて…
ゴールデンウィークである。9月にも連休がやってくるが、今年は3連休にしかならないため、シルバーウィークとは呼ばないらしい。「最長10連休」という前代未聞の日数を叩き出し、今年はゴールデンウィークの独壇場、文字通り「金」にふさわしい輝きである。 …
既に真夏のような暑さである。慌ててクローゼットを衣替えしたり、夏服の下着が無いことに気付いて、買いに出掛けたりもした。室内だろうと少し動けば汗が滲み、外に出れば、ただ歩き回るだけで息が上がる。格好は素肌に半袖1枚のみ。帰り道では欲求に勝てず…
夕方、YouTubeを観ようとスマホを点けたら、動画が全く読み込めない。黒い画面に「読み込み中」のマークがぐるぐる回っているばかりである。動画一覧も、全部のサムネイルが真っ白のまま。試しに他のアプリを開いてみれば、LINEもTwitterも読み込めない。設…
恒例「街中の書店巡り」の最中、ある大型書店にて、1冊の文庫本を手に取り、熱心に吟味している女性がいた。私が一度通りかかって、奥の書棚をのんびり物色し、一周して帰って来ても、まだ吟味していた。相当好きな作家なのか、あるいは偶然見つけて惹かれた…
丸1年ぶりに「暑さ」によって起こされた。スマホを点ければ午前6時。羽毛布団は蹴飛ばされて大胆に捲れているし、背中はじっとり汗ばんでいて、不快指数は初夏のそれと同じである。 4月は、こんなに暑かったか。捲れた布団はそのままにして、パジャマのボタ…